デビュー曲「てろてろ」で強烈なインパクトを与えた矢野絢子の、セカンドシングルです。
どのくらい強烈だったかというと、鈴木かすみ「ヤドカリカリカリ」が出てくるまで、初期の当ブログの検索第一位を誇ってました。まあマイナーなのに有線で流れまくっていたし、当初「矢野洵子」と間違えた表記も載せていたし、と、検索に引っかかりやすかったとかもあるんでしょうけど。
でも、歌自体が非常に印象的で、力もこもっています。こちらでPVフル視聴できますし、歌詞まで公開していますんで、ぜひぜひ聴いてみるといいと思います。心動かされる人も多いんじゃないでしょうか。
こうしてすべて公開している辺りも、聴けばみんな気に入って買ってくれるだろう、という楽曲への相当な自信がうかがえますよね。7月から有線でかかっていたのにリリースが9月なのとかも、「てろてろ」も3月から流れていて5月発売でしたし、まず流しまくって興味を持たせようという戦略があるんでしょうけれど、これだって「きっとたくさんの人の耳に残るだろう」という予測の上に成り立つ作戦なわけで。実際、印象強いですけどね。
歌詞は、「てろてろ」と同じく、「僕」での一人称。こうしたタイプの歌い手はどちらかというと「女」らしさを前面に出してくる人が多い気がしますんで、わりと独特かと。でも、ボーイッシュな感じですし声も少年ぽさがあるし、合ってますね。艶かしいのでなく、ピュアな響きがしますから。
たとえば、えっと、私事で恐縮ですけど。自分が小説を書くときって、けっこう女性視点になることってあるんですね。その場合、何がポイントになるかというと、自分の視点のある主役を、客観的に見て動かせるということだと思うんです。作者から独立した思考のキャラを作りやすいというか。
「わたし」一人称で自らの想いを主観的に歌う女性アーティストは非常に多く、それが同性からの共感を得たりしているわけですけど、矢野絢子はそうではなく、客観的に歌を「演出」しているところがあります。
「てろてろ」にしろ「夕闇」にしろ、鮮やかなシーンが曲に浮かんできて、聴き手を惹きこんできますよね。たぶん「こういう想いを歌いたい」というよりは、まず情景が思い浮かんで、その空間を表現するために「僕」の気持ちを込めているためなんじゃないかなと。結果的には、その「気持ち」のほうが前面に出て聴こえてきますけど。
今回で言えば、「夕闇」に沈む部屋の中で、ただ沈黙している二人の張り詰めた距離と空間を歌で表現したくて、それで『抱きしめても 抱きしめても/抱きしめても きっと足りない』というように、作り出したシーンに漂っている「言葉にならない感情」を浮き彫りにし、歌い上げているんじゃないかなと。
カップリングで、これまた歌詞公開している「嘘つきの最期」を読んでみても、皮肉めいた寓話的な世界になってまして。やっぱり、歌の世界をきっちり構築するタイプの人なんだなあと思います。
それでも生々しく響くのはやっぱり声と、あとは歌い方ですね。リズムにはめ込むのではなくとても流動的に自由に、まるでしゃべっているように歌っていて、これは往年のフォークソングに通ずるものがありますね。むしろ「ネオアコ」の系統よりも「字余り感」があるぶん、近いかもしれません。
矢野絢子
コメント(2)| Track back(0) | 2004年10月07日
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