活動休止、移籍を経ての久々のシングルは、ピアノの聴こえてこないバリバリのロックサウンド。当然のように賛否両論あるようですが、まあこれはこれでいいんじゃないかと思います。ピアノ主体の楽曲をもうすでにアルバム三枚分も作ってきたのだから、新しい分野に手を出すにはちょうどいいくらいの時期なんじゃないかなと。
まあなんかちょっと、気合入りすぎな出来ではあるような気がしますけどね。おそらくはイメージチェンジを意識しすぎていて、やや過剰すぎな感じを受けます。アレンジセンスも微妙なとこですが、でも見事に洗練されたロックンロールと彼女が合うかって考えると、このくらいのベタベタなバッキングのほうがむしろいいような気もします。
とりあえず、2ndアルバム「This Armor」の「ROLLIN'」とかですでにバンドサウンドは取り入れていて、それがけっこういい感じだったりするし、「鬼束ちひろにはロックが合わない」ということはないはずです。肩の力を抜けばもっとしっくりくるんじゃないかなと。
詞のほうも、なんだか今までと違う方向に、妙に入れ込んでますよね。いや、入れ込んじゃうのは昔からそうなんですけど。いつも、全然リラックスしてない。
今までの彼女の詞は、代表曲「月光」の『I am GOD'S CHILD』というフレーズに代表されるように、「神」を強く志向した詞世界が特徴的です。神といっても信仰心とかうんぬんはすっぱりと抜け落ちているっぽくてその辺はそういう意味で日本的だなあとか考えているんですが、ポイントなのはそうした神聖なイメージを引き合いに出しながら、自分、あるいは周囲の汚さ弱さ醜さを意識してしまう、というところです。この自覚が大元にあって、あとはその絶望や無力感から「貴方」に助けてもらったりこっちが助けたり、いろいろやってるわけで。とにかくいつも「神、神聖なもの⇔汚れたわたしたち」という対比がありました。
ただ今回は、天を見上げていません。『食べていくのには/稼がなきゃならない』と、地を這って行こうという姿勢が見られます。タイトルの「雑草」にしても、『気分は野良犬』にしても、『もう必要もない あらゆる救済』とはっきり示したり、やや無理やり目を背けている感はありますが、神に頼らず現実をひたすらに生きていこうという主張になっています。
やけに芝居がかっているようなのは別に今始まったことじゃないですし、「sign」はともかく「私とワルツを」で見せたような「救済されたい側」から「救済する側」への転換は、なんだか自らを神格化、宗教の教祖化していくようでちょっと怖かったんで、まあ変わっていくなら一から出直しのこちら「育つ雑草」のほうが、まだ好感は持てるかなと。
鬼束ちひろ
コメント(2)| Track back(0) | 2004年11月17日
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