このブログの常連さまであるstyle of my ownのアイデアルさんから、アルバムレビューのリクエストを頂きましたので、紹介したいと思います。
だいぶ遅くなってしまったのですが…
オフィシャルサイトはこちらになるのでしょうか。詳しくはそちらに載っていますが、シンガーソングライターという言葉がよく似合う、穏やかな音楽と声、独特の味を持つ詞を書いています。
個人的に、ここ一年ほど柴田淳やSalyu、KOKIAそれに諫山実生など、ゆったりめの女性ボーカルが好みのひとつとして確立しつつあるのですが、その系譜に連なる、聴いていてリラックスできるタイプの歌い手です。
ただ彼女が上に挙げた方々と違う点は、その「フォーク性」の濃さです。
聴きやすさ、そこはかとなく漂う懐かしさ、そういう雰囲気を出すための「アコースティックさ」ではないのです。吉田拓郎や井上陽水をリスペクトしているということが、実際に聴いていてうなずけるくらい、ルーツとして「フォーク」の水脈をしっかりと持っていることがわかるんですね。
じゃあ具体的にどんな点が「フォーク」なのか、と尋ねられると、非常に難しいんですけれど。フォークに特に詳しいわけでもないですし…
一つ考えたのは、その紡がれる世界がどれも淡々としている、非常に「日常」を感じさせる点である、ということで。
ここで言う「日常」というのは、まあ「ドラマティック」の反対側の概念だとでも考えていただけると、わかりやすいかと。現代のポップスって言うのは大抵、ドラマ性を含むもので…っていうか最も歌われる素材である恋愛が、そもそもそうだからってのもありますが。
たとえば象徴的なのが、このアルバム一曲目の「長い話」。
これは、17歳から今までの自分のことを振り返ってつづったと思われる歌なのですが、何とはなしに流れはあるものの、山場があるわけではなくて。過剰に事件を盛り込むでも、過剰に自らの足跡を切々と歌い上げるのでもなく、淡々と独り言のように歌っていまして。ストーリーとしては落第モノなのですが、その取るに足らない内容の淡々とした語りが、何ともいえない味になってるわけです。
他にも、言葉そのものの選び方もまた、「日常」を切り取った描写が冴えています。「夏蝉」「雨」などが、特に好きかな。また、アルバム後半の「イマジンが聞こえた」や「夢のある喫茶店」「祖母と二人で」などの舞台設定のある曲も、どことなく古き良きフォークを連想させます。
表現のセンス的な部分、言葉を綴るにおいてどこに重きを置いているのか、という観点では、矢野絢子に通じるものがあるように感じます。ただし、矢野絢子は声に思い切り感情を込めて鮮烈なイメージを追い求めるのに対し、熊木杏里はひたすら感情を押し包んで(それこそ、自分を「無」にするように)淡々と歌う、と正反対のアウトプット方法をとっているようですが。
最近、「金八先生」の挿入歌として使われた「私をたどる物語」も、ボーナストラックとして収録されています。
熊木杏里
コメント(2)| Track back(0) | 2005年05月15日
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