<まだイノセンスが手の届くところにあるフレッシュさが、新しい時代を築いていく>
実にいいタイミングで傑作を出してきました。これでスキマスイッチ人気だけでなく、「ポップソング」の全面見直し、捉えなおしが始まってくることと思います。それくらい、爽やかで若々しくてちょっと感傷的なところもあって、そして聴いていて楽しめる「ポップス」のいいところを余すことなく詰め込んだ一曲かと。
「〜してんだ」という語尾をはじめ、砕けた口調を多用しています。これとか、1コーラスでは『置いてかれんだ』なのが2コーラスで『老いて枯れんだ』となっているのとか、サザン桑田→ミスチル桜井の系譜ですね。ただ先立つ二人が、「音的な響きの良さ」「統一性と『ずらし』」を念頭に置いてこうした口調を用いているのに対し、スキマは「キャラ作り→親近感」も合わせて考えているんじゃないかなあと感じます。
そうそう、名前が出たついでですが、この曲を聴いてMr.children「イノセントワールド」を想起した人も多いのではないでしょうか(少なくとも 約1名は確認済み)。上に挙げた口調からくる部分もあるのかもですが(でも、桜井和寿はこの曲の頃はまだこういう口調ではなかったですけど)、自分もとてもそれは感じていて。共通しているのは、『身に付けたもの取っ払って』とあるような「イノセンスを取り戻したい」という強い決意と、同時にそうした決意自体にイノセンスがあることですね。『汚れちまった僕のセカイ』と嘆いてみせるけれど、汚れたことを悲しむ思考自体が、とてもフレッシュなんですよね。
そして何よりも、この曲の主人公は「イノセンスを取り戻したい」と決意すれば、取り戻せる位置にあるのです。曲中では「あの頃」の少年性を追憶していたのが、最後のサビのリフレインで『紛れもなく僕らずっと 全力で少年なんだ』と、自分の内側にはまだ少年性があった、と改めて自覚し、イノセンスを取り戻すわけです。これは、『またどこかで会えるといいな』と少年性との再開を期待して閉じる「イノセントワールド」よりもさらにフレッシュな位置に、この曲の主人公は属しているんだということを示しています。
両曲は、この「まだ戻れる」と感じている点で、現在形でイノセントな世界が描かれつつも「戻れない」雰囲気の漂っている「youthful days」よりも、はるかに若々しい感じがするわけですね。
(「youthful days」に関しては、はるか昔にこちら(上から2番目)に書いていたりします)
昔を振り返っておきながら、未だにそんなイノセンスと地続きで、今からでも考え直し走り直していける。とにかく傍若無人なまでのこの若々しさが、ポップなアレンジ、砕けた口調と相性よく組み合わさり、相乗効果を出していて。見事です。
ついでに言うと、自らの内側、という意味で用いられている「セカイ」がカタカナ表記なのは、サブカル分野における「セカイ系」を踏まえているのか、とも感じられます。暗に、閉じこもりから抜け出せ、というメッセージがこめられているのではないかと。それは、「セカイ系」とは関連がないにせよ、ここ数年のJ-POP界隈(特に青春パンク周辺)に多く見られた「自問自答」の歌/マジメに考え込む歌の流行から、スキマスイッチ自らが切り拓こうとしている「ポップで楽しい」歌への転換を、象徴的に示しているように感じます。
『セカイを開くのは誰だ?』…『セカイを開くのは僕だ』。思い悩む時代から、「楽しさ」を追及する時代になる、それを作っていく、という宣言のように、自分の目には映ってくるのです。
スキマスイッチ
コメント(3)| Track back(0) | 2005年05月30日
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