<環境が変わろうと暗かろうと、ひたすら素直に胸のうちを曝し淡々と歌う>
レコード会社をひっそりと移籍したしばじゅんですが、曲はしっとり系ピアノ中心のバラードと、見事なまでに相変わらず自らのスタイルを崩しません。
それは音だけではなく、詞もまたそう。恋人ではなく友達どうしの別れの場面を描いているのが今作なんですが、『君はもう歩き始めている/ぼくはもう少しここにいたい//君との思い出の中にいたい…』とか、変わっていく、離れていく瞬間まで足を踏み出したくないと歌っているんですね。思い出を胸にしっかり生きていく、といった強い歌に比べると、ずいぶんモラトリアムな感情です。
そのほかにも、癒し系っぽい穏やかな歌声なのに、かなり暗い思考回路で世界が紡がれている彼女の持ち味(?)はまだまだ健在。花吹雪の舞い散る、感動的な別れの場面にいながらにして『やがて二人 すれ違って/君より大事なことが増えて/会わなくなる そんな時が/いつか来るのだろう…』と、かなりドライ。
たとえば恋人との別れの歌で「いつかは君のこと忘れるのかな」とか「この恋も思い出になるのだろうか」といったフレーズはけっこう見かけますが、たいていは「そんなの今は信じられないけど」とか「そうなったらイヤだなあ」という、時の流れを否定したい気持ちが根元にあるものだと思うのです。そこに感傷とか郷愁とかがこもって、聴き手が共鳴できるようになっている、と。
だけどこの曲はそうじゃない。「君」が大事でなくなってしまう日が「来るのだろう」と、すでに諦めている、受け入れているのですね。これが「来るのだろうか」だったら、また違ってくるはずですけど。
彼女がすごいなーと思うのは、まさにこの透徹した視点で。「冷めてるなー」と思われそうなこと、「普通こんなことすぱっと言わないだろう」というような感情を、さらりとなんでもなく出せてしまえるところなんですね。冷たいんじゃなく、素直なんです。卒業式だからって、なんでみんな盛り上げようとするの?とか、お葬式ってなんで静かにやらなきゃいけないの?とふと疑問に思ったことのある方、それと同じようなもんです。こういうところを取り出せて、しかも嫌味なくできてしまうというのは、類い稀なことだなあと。
ところで、やはり雰囲気は淡々としつつも痛いところをグサリと深々えぐってくる「ちいさなぼくへ」という曲では、幼い頃の自分との対話という形式で詞が描かれていました。その印象のせいもあって、今回の「花吹雪」の「君」もまた「僕」の分身として読むこともできるんじゃないか?と一瞬考えてしまったりしまして。前向きで先に進もうとしている自分と、それに合わせられない後ろ向きの自分…みたいな。
その解釈を押し通すのは、さすがに無理があります。が、『前を向き 希望満ちた笑顔/それが少しだけ淋しかった』とか、自分と違う世界を目指そうとしている相手に感じる淋しさや切なさの感情は、今までお互いがぴったりとひとつだと感じていたことを、逆に証明しています。
この曲が「恋人どうし、男女の別れ」ではなく「友達どうし、少年たちの別れ」として描かれているのは、この「半身がはがされるような淋しさ」を表現したかったからなのかな、と考えたり。少なくとも彼女の場合は確かに、恋愛の別れよりもこちらのほうがスタンスに合っているように感じました。
柴田淳
コメント(0)| Track back(0) | 2006年07月04日
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