相変わらず独特なメロディラインを歌っています。旋律が調からはみ出していたり、コード進行がやや唐突だったり、コードにはまりきっていなかったり。そんなaikoの歌は、体系化した耳馴染みのいいオーソドックスな流れからあえて外れるているがゆえに、聴き手に印象的に響いてくるのでしょう。
「ズレ」には、感情が篭りやすいのです。aikoは、音を半音ずらすのが得意です(一番すごかったのは「かばん」でしょうか)。また、メロディをリズム通りに乗せず遅らせる、リズムを歌いこむことで「ズレ」させるのが、演歌の「コブシ」なわけですね。
aikoは「ズレ」を利用して(というよりは無意識に「こうした方がいい」って感じでやっているんでしょうけど)、個人的な感情を歌い込みます。今回の曲は特に、「三国駅」と自分とつながりの深い実在の場所名を入れることで、超個人的な歌であることを表に打ち出しています。
それゆえか、いつもよりも意味深なフレーズが目に付きます。『自由に舞う 声がする』の声の主は誰なのかとか、『少しならこぼしていいけど』ってのは何をでなぜいいのかとか、きっと本人の深いところでは納得がいっているんだろうけど他人にはちょっと…な部分があったり。(あ、あちこちで取り沙汰されてた『首をもたげて』は、単純にミスだと思いますが)
でも、aikoはそれでいいのです。個人的な思いを強く乗せるからこそ自然と「ズレ」のある印象的なメロディができるのだし、そのメロディや声で周りを自分の個人的な世界に引き入れることができているわけですし。そういう意味で、「個人」の印象が強くなる「ご当地ソング」というのは、aikoのスタイルに合った形だと思います。
サビの最後が『離したくない』から二言三言続きそうな感じだけど、でもずっと伸ばし続けているじゃないですか。オーソドックスなポップスに慣れていると「えっ」て思いますけど、なんかこの常道を無視した長い伸ばしの間に、きっといろいろなものが詰まっているんだろうなあ、あれこれ思い出しながら声伸ばしているんだろうなあ、って気にさせられません?で、聴いているこちらもシミジミなんかしちゃったりして。オーソドックスからの「ズレ」、「個人的な歌」っていうのは、そういうことです。
いつもよりもキーが低く淡々としているのも、声を張り上げる「作った歌」というよりは「自然なつぶやき」っぽい感じがしますよね。
aiko
コメント(0)| Track back(0) | 2005年04月03日
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