 | ネオメロドラマティック/ROLL
ソニーミュージックエンタテインメント
ポルノグラフィティ, 新藤晴一, ak.homma, 岡野昭仁
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<うた職人の技巧と、その陰にのぞく自嘲>
デッドウッド・フォレストってアメリカのバンドが「メロドラマティック」という歌を出しているようですが、きっとそれとは何も関係ないんでしょう。
現代社会を皮肉るフレーズは、もうお手の物といったところです。そういうのはもう既にありふれまくりなテーマなのですが、新藤晴一は毎回表現や切り口を変えて、ありきたりに陥らないように工夫しているのが見て取れます。
今回の「ネオメロドラマティック」は特にバラエティに富んでますね。『ボイルした時計の皮むき』なんてユニークなものがあるかと思えば、『幸せすぎるのが不幸なこの頭が/切れない剃刀を探している』と現代的なねじれた精神状態を揶揄したりもしています。
スピード感あるテンポとメリハリのきいた旋律の上に、次々に病んだ社会のさまが繰り出されてくるので(しかも、表現がいちいち凝ってるので)聴き手はまさに、情報過多な街の中に放り込まれたような感覚に陥ったりするんじゃないでしょうか。
<そんな目くるめく街の中でも、二人でなんとか生きていこう>
というのが、おそらくは「ネオメロドラマティック」の意味するところなんじゃないかと。
『格好つけて言うわけじゃないけれど/ここには僕らしかいないみたい』というこの感覚がポイントです。格好つけてないと断りつつ、ここにはやはり「いろんな人や物が溢れているけど、信じられるのは自分と、そして君だけ」みたいな、「二人」を特別なものとして見る、ある種の自己陶酔があるわけで。
「ネオ」な世界で、「メロドラマティック」な想いに浸る二人。<そんな目くるめく街の中でも、二人でなんとか生きていこう>と呼びかける中にも、そうした主張を、どこか自嘲しているような感覚を抱かされます。こうやって、特定の「君」という相手を見つけて、すがって、二人きりだと信じ込んで一蓮托生にでもならないと、とてもこんな世界じゃやっていけないよ…そんな渇いた視点から描かれているように感じるのは、勘ぐりすぎでしょうか。
キメの言葉として繰り返される「ネオメロドラマティック」という造語は、その語感やメロディへのハマり具合は、とてもいいです。ただ、上記のようにつらつら分析してみたりしないと、その意味するところを想像しにくい、「わかりにくい」言葉でもあります。
サビの最後で、キメとして使われる言葉。聴き手は無意識のうちに、曲の主張の総まとめのようなものを、こういう位置に求めがちです。また、タイトルも、内容を表したものだっていう認識がありますよね。でもこの曲はそこに、パッと聴きではまったく意味が通ってこない「ネオメロドラマティック」という語を多用しているわけです。聴いていて、「結局この歌、何が言いたいんだろう?」と首をひねった方も多いのではないかと。
これもやはり、曲中で主張していることを自ら皮肉っているような、表現者の内面の表れであるように感じたりもします。答えや出口なんてそんな簡単に示せないよ、みたいな。
さて「ROLL」のほうですが、こちらはもっとシンプルな、正統派バラード的な内容の詞になってます。岡野昭仁の作詞作曲ですが、ak.homma作曲の「ネオ〜」に比べると、少々ピントがぼやけている印象。ただ、それが悪いかってのは、一概にそうとも言えなくてですね。
ak.homma曲は、器用にフレーズを加工できる新藤晴一の、職人的/技巧的な方向性に、とても合っています。それが基本的なポルノのシングル路線なんですけど、こういうタイプの曲もまた、違う魅力を出せている部分があるんじゃないかと。
作詞作曲を一人でする、一人で歌を作り上げると、やはりその人のパーソナルなものが露出ぎみになりやすいです。いつもは職人的な詞を書く新藤晴一も、前回作曲まで自らしたシングル「黄昏ロマンス」では、“「一人で作った」ということが、ポップめなシンガーソングライターの曲っぽい等身大さに関係しているのかもしれません”なんて感じを受けましたし。
特に、それなりにキャリアをそれなりに積み重ねてきた今のポルノは、少し肩の力を抜いたこういう曲にも、味がでてきていいかもしれないなあと。ややぎこちないけど、すごく素直で、ちょっととりとめがない、っていうくらいの、穏やかな強さがある雰囲気というか。
ポルノグラフィティ
コメント(5)| Track back(0) | 2005年04月18日
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