※注意!過去最高クラスに長い記事です。
ずいぶん肩の力抜けましたねバンプも。そこが寂しいってファンもいるんでしょうけど。確かにこの曲からは「天体観測」にあったような爆発力はないですが、カントリー風味の軽快な音にチャレンジすることで幅を広げようとする向きは評価できます。
一般的に、ブレイクするには深さが必要ですが、人気やモチベーションを維持し続けるには広さが必要なものなのだと思います。バンプは、メジャーデビュー以後のシングルを追う限り、その辺のギアチェンジがうまく行っているように感じます。前作「オンリー ロンリー グローリー」で、初期衝動から少し手を伸ばした地点で、またかなり深いとこまで潜ってみたりしてますし。
さて今回は、自転車二人乗りから駅ホームでのさよなら、自転車で電車を追いかける、まで見事なまでのお約束シチュエーションがコンボで炸裂してまして、ちょっとドラマティックすぎるかなあとは思いますが、しかしそれでも、短編小説のような詞の構成がなかなか見事です。
たとえば、『「世界中に二人だけみたいだね」』という別れの前の「君」のセリフがあるから、別れの後の『世界中に一人だけみたいだなぁ と小さくこぼした』というフレーズが何倍も生きてきています。
また、「君」の荷物が改札口にひっかかったときに「僕」がひっかかりを解くというのも、当然離れたくない気持ちのあるだろう「僕」が「君」の旅立ちを手助けした形になるわけで、うまいこと切なさを煽ってます。
さらに面白いのは、2コーラス後の『間違いじゃない あの時 君は・・・』の続きが、間奏とメロのリフレインを挟んで、その後のサビのリフレイン『泣いてただろう』にかかっていること。これは曲を聴いていても普通は気づかない、歌詞だけを読んで、初めて効果を発揮する演出。だからこれは、「詞だけを読んでもらえる」ことが前提の表現です。
藤原基央は今までも物語性の強い詞を書いてきていて、こうした遠まわりな表現も、詞の物語としての完成度にこだわった結果でしょう。彼らのファンも、歌詞カードをまったく見ない「音が好きなだけ」の人は、ごく稀でしょうしね。
さて、こうした別れの歌なのですが、「遠くへ行くのが女の子のほうで、語り手の少年は動かない」という構図、最近増えているような気がします。
昔は、チューリップ「心の旅」だとか狩人「あずさ2号」だとか、電車に乗り込み上京するのは、常に男性でした。90年代に入っても、個人的に好きなシャ乱Q「上・京・物・語」があります。この「車輪の唄」は『券売機で一番端の一番高い切符が行く町』であって「上京」ではなさげなんですが、何も上京でなくても、つい最近のゴスペラーズ「新大阪」でも、新幹線で移動しているのは男性のほうだったりしますね。基本的には「電車で遠くへ行くのは男性」というイメージが、多くの人の頭にあるんじゃないかと思います。
自分の知ってる限りで唯一、例外は槇原敬之。「LOVE LETTER」「Red Nose Reindeer」など、見送る立場が目立ちます。
最近で、「男性が残る」パターンだったのがTUBE「夏祭り」で、その中で自分は“「変わらない」町と「止まった心」が、「町」を離れて「変わりゆく君」と対比されていて”と書きました。またユニコーン「自転車泥棒」も、似たようなものです。
男女どちらにしろ、共通しているのは、「遠くに行く」側は変わっていく(大人になる)ことが示唆されがちだ、ということです。「上京」とはつまり働き口を見つけに出るわけで、「一人前」になるための儀式的な意味合いがありますし。
で、「女性が旅立ち、男性が残る歌」というのは、視点である男性が動かないため当然と言えば当然ですが、「変われずにいる」「取り残される」者の心理をクローズアップし、そのやるせなさに焦点をあてて描いているようです。
動けずに、ひとり残される少年。そういうやるせなさ、無力感にスポットを当てたシチュエーションが、最近はけっこう増えてきているように感じます。
単純に「女性が動き、男性が動かない」パターンが最近増加している、と言えばいいところを、長々と書いてしまいました。でも、そう言うだけだとどうしても「女性が行動的になってきた」という論調に読み手の意識が誘導されがちになってしまうかなと思いまして。
確かに女性の社会進出といった世の動静にリンクしていることもあることはあるのですが、むしろ注目すべきは「行動する女性」の側ではなく、「行動しない男性」のほうだと思うのですよ。
男は上京するもんだ、って時代はさすがに過去の話にしても、動かない、あるいは振り回される男性像が、無視できないくらいに拡大してきているように感じています。ラノベとかギャルゲーだとか、内向的な男性(「オタク」とはまたちょっと違う定義だと思う)と親和性の強い新しいメディアで、特にこの傾向が強いようで。
曲とまったく関係ない地点へと逸れていきっぱなしもなんなので、ここで流れを引き戻すためにバンプを持ち出しましょう。
バンプにも過去に「バイバイサンキュー」という「上京」の歌があります。そこでは『夢に見た街まで行くよ/こんなにステキなこと 他にはない』と期待を膨らませる一方で『僕の場所は ココなんだ』と「変わらないでいたい」という姿勢があり、やはりどちらかと言うと内向的な向きの強い詞世界を持っていたと言えるでしょう。
ただ今回の「車輪の唄」は、状況こそ「僕」が残る側ではあるしその心情を切々と浮き彫りにしてはいますが、「バイバイサンキュー」よりもずっと内向性が和らいでいるように感じます。あまり悲壮さ、暗さ、陰気さは感じられないんですね。
この点は、「オンリー ロンリー グローリー」の記事でも触れた、「閉鎖的な箱庭から、徐々に外に目を向けるようになってきている」バンプの世界の流れで説明できます。またこの曲に限って言えば、軽快な曲調のせいもあるでしょうし、あとポイントなのはこの曲、ちょっと子供っぽいんですね。大人への通過点「上京」よりも、よく少年少女漫画などである「友達の引越し」エピソードに近いものがあるように感じるんですよ。自転車で電車追いかけるのとか。そういう純粋っぽい雰囲気が、内向性を感じさせないことにつながってるんじゃないかなと。
BUMP OF CHICKEN
コメント(7)| Track back(0) | 2005年01月18日
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