<タイアップでも揺るがないスガシカオ的美学が、それぞれ別の方向に伸びている3作>
トリプルA面シングル。「奇跡」は爽やかなアップテンポ、「夏陰」は叙情的/感傷的な夏の終わりのバラード、そして妖しく危うく繊細な雰囲気の「サナギ」と、それぞれ異なる方向性を打ち出した3曲になっています。
このうち「奇跡」と「夏陰」の2曲は、この夏の甲子園関係の番組で使われていました。
以前にゆず「栄光の架橋」でも触れましたが、最近のスポーツ関係のタイアップは、「熱さ」を強調しない向きがあるように思います。や、もちろん白熱した試合をイメージさせるアップテンポの歌もなくなったわけではないですが、「栄光の架橋」はそれよりも「感動」を、そして今回のスガシカオ起用は「爽やかさ、涼やかさ」をイメージ付けようとしてのものなんだと感じます。
あと、やっぱり重要なのが、「等身大」っぽさでしょうか。特に甲子園は、高校球児たちが青春をかけてぶつかり合う、という点がやっぱり観るものにとって魅力的な部分なわけで。だから、個人の感情を浮き彫りにする形で曲を描くスガシカオが選ばれたってのもあるんじゃないかなと。
とは言え実際のところ、「爽やかなアップテンポ」というのは、スガシカオの本領ではないですよね。「奇跡」は、サビこそ言葉も音もとてもポップに響かせてきますが、メロはかなり屈折してますし。『昼間のマンガ喫茶のうすいジュース』とか『光化学スモッグ警報』とか、そんな夏の煌めきのない部分のイメージを並べてきたり、『ユメと希望って言ったって/ちょっと疑わしくって』なんてヒネクレたこと漏らしていたり、コレ本当にスポーツタイアップでいいのか?って感じです。
その辺の鬱屈した夏、屈折した感情を思い切りぶちまけたい、そんな思いをサビでうまく爽やかなイメージに昇華させている、といったところでしょうか。タイアップを意識しつつ、自分の表現したいことはきっちり譲らずに出しておく。うまく折り合いを付けたと言っていいんじゃないでしょうか。
「夏陰」は屈折や毒は含まれていないものの、気だるさのにじむ情感ある場面を豊かに描くというのは、SMAPに提供した「夜空ノムコウ」の詞を見てわかるとおり(そしてこのイメージで今回のタイアップがついたんだろうなあ)もともとの得意分野でしょう。『ずっと思いめぐらしていたら 足下までもう夜が来ていた』なんて、あれこれ問いを描き悩み、曲中では明確な答えを出さないまま、という構造はまさに「夜空ノムコウ」と同じものです。こういう「投げっぱなしの問いかけ」は、実に聴き手の心を揺さぶってくる手法ですね。
終わりゆく夏の中で、進んでいく時間を受け入れることに戸惑っている…どこを切り取ってもいい表現ばかりですが、しかしこの人は『開けっ放しの窓の向こう側で/ゆがんだサイレンの音がしている』とか、気持ちや詞世界に溶け合う情景描写がほんとにうまいですね。
そして「サナギ」…これアニメ映画タイアップなんですけど、よかったんでしょうか?ギリギリアウトじゃないですか?『体のうすい粘膜』とか『家畜』とか、どうなんだコレって単語や表現だらけなんですが。
まあ、そういう妖しい表現はただ奇をてらったってわけではなくて、ある種の倒錯した雰囲気や美学を作り上げているのには間違いのないところです。
女性視点で描かれていて、「あなた」を失い何も手につかなくなってしまった様子を、殻に閉じこもった「サナギ」と置いています。これって一般的には「抜け殻のようになってしまった」と表される場合が多いと思うんですが、この曲では「あなたを忘れる」=「いつか殻を破り羽を広げて生まれ変わる」日を待ち望んでいる、という構図になっています。これが「抜け殻」だと、そこまでは考えられない、本当に呆然とした様子になってくるわけで。それよりもずっと前向きなように「一見」感じられますが、しかし殻から抜け出す時を夢見ていながら『その羽でどこへ 飛んでいけばいいかしら』と浮かぶ疑問、あるいは『そんな日がいつか やってくるのでしょうか』と繰り返し繰り返し問い続けるのを見ると、むしろ痛々しく感じられてきます。
というわけで、スガシカオの魅力が多方面に詰まった1枚ではないでしょうか。ここにない方向性といったら、どこかサディスティックで背徳的なアダルトさくらいですか。
スガシカオ
コメント(2)| Track back(0) | 2005年10月10日
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