バンド二作目、今回は椎名林檎自らの手による作曲。なんというか、鳴っている和音から微妙に外してくる、スケールから半音ずらしてくるメロディワークが流石って感じがします。コード上やスケール上にない音を乗せると、明快ではなく深い、一筋縄ではいかない響きになるわけで、そういうのを出したい、あるいは自然ににじみ出てきてしまうんだろうと。
わかりやすい例がサビの最後『「救助して。」』で、ここ楽器のほうは暗い感じで終わる響きになっている(=和音が短調で解決している)のに、歌の「て」は微妙に浮いた感じで伸びているじゃないですか。これだけでかなり倦怠っぽさが漂うようになるんですよね。
で、相変わらず演奏隊がどれも触れたら切れそうないい音してますよね。
歌詞も前回の「群青日和」と同じく、一見よくわからない独特の言い回しを使ってはいるものの、描かれている気持ちそのものは難解ではないです。『傷付け合いの会話』がエスカレートしていくけれども愛しさはお互いにあって、の『如何にでもなりそうな事態』。そこから相手の手を掴んで引きとめ『振り向きもせず/慈しみ合う』なかでの、『如何にかなるかも知れない』という思い。こうした、制御できず乱れるままの感情を描き出そうとするのが、椎名林檎の特徴のひとつかなと。
で、そうした、かきむしるような激情から『「救助して。」』もらいたい、引き戻してもらいたいという状況が、タイトルの「遭難」なわけですね。さらに、その状況は『「出遭ってしまったんだ。」』という言葉の示すとおり「出遭い」によって引き起こされた事態なわけで、わざわざ「遭」の字を使うあたり、うまいこときっちり掛けてるなあと感心します。なんだかカッコいいからって理由だけで「出逢い」とか、もしくは「思い」を「想い」とかわざわざ書いちゃったりする人は、椎名林檎を見習いましょう、ということで。
東京事変
椎名林檎
コメント(0)| Track back(0) | 2004年11月11日
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