<力強い曲と声に乗って、応援者は選手に思いを託す>
NHKトリノオリンピック放送テーマソング。世界的な大会らしく、壮大なスケールを感じさせるバラード…ってことですが、以前2年前のアテネオリンピック時のゆず「栄光の架橋」でも書いたように、このスポーツの祭典の観戦者たちの焦点が「興奮」や「熱狂」ではなく、「感動」へとシフトしていっている、ということが見て取れます。
今回の、代表選手の宣誓と解釈できそうなこの詞は、さらに「誇り」が加わった感じでしょうか。『胸に誓うよ/永遠に果てしない道も/乗り越えてゆくと』というような、力強い宣言。ここまで堂々としたテーマソングって、しばらくなかったような気がします。
ここに国民からの選手たちへの期待度の高さ、きっと大きな戦績を上げて帰ってきてくれるだろうというような活躍を確信する思いがあった…などと読み取ってみて、やけにメダルメダル騒いでいた今回のオリンピック報道を振り返ることもできそうですが、もう大会も終わっていることですし後出しジャンケンみたいなことはやめときましょう。
この曲は壮大な響きがします。メロディにも、はっきりとした強さがあるように感じます。それは、旋律が「ド」と「ソ」を中心に据えて作られているから。ドレミファソラシドという音階があるとき、背骨の役割になるのが「ド」と「ソ」で、この2音を強調した作りにすると、がっしりした骨格を持ったメロディラインになるのです。
※この曲の場合「ド」はGで「ソ」はDになります。わかんない人は無理しなくてよいです。
サビのリズムも「力強さ」を感じさせますね。勇壮な行進曲のイメージがあって、トランペットで吹いたらかっこよさそうです。
詞ですが、これは選手宣誓っぽいとさっきも言いましたが、きっと「オリンピックテーマ」というタイアップが先にあって、そこから書かれたんじゃないかなと想像します。
まず、一人称がない。「僕」でも「私」でも「わたしたち」でもない。『あきらめないから』『迷わずゆくよ』と確かに意志を持った主体はあるんですが、誰か、という特定はされてはいません。選手たちかもしれないし、観客たちかもしれない。誰を入れるのがふさわしいか、というような優先順位もない。選手も応援者も、全ての人を『生まれたての明日に/胸が高鳴』っている存在に代入することができるわけです。同時に『大切な人に届けよう』とある、やはり特定されない「大切な人」になることも、また可能です。
つまり、オリンピックという国を挙げてのイベントに、文字通りこの曲を聴く全員が「一丸となって」いける歌なのですね。
…こう書くとまあナショナリズムがどうたらという難しくて怖い話になりがちです。
でもまあ、人がスポーツを観戦するのって、選手と一体化して感動を味わいたいから、応援しているみんなで興奮や感動を分け合いたいからなわけなので、あんまりそうピリピリ考えたくはないです。少なくともこの歌に込められているのは、活躍を祈ったり願いを託したりといった、応援者から選手達に『重ねた手』を通して伝わっていく純粋な気持ちだと思います。
あ、そういう意味でも平原綾香の存在って合っているかもしれませんね。声質が壮大なだけでなく、ヘタに感情を感じさせないニュートラルさを持ち合わせていますから。
平原綾香
コメント(0)| Track back(0) | 2006年02月28日
|