<中途半端な年齢であるからこその、歪み屈折した夢と希望の志向>
この春、KAT-TUN「Real Face」の作詞をして話題を呼んだスガシカオですが、自身のリリースしたこの曲もまた、「Real Face」とは真逆の位置から若者を描いたかのような、なかなかの問題作です。
妖しげな雰囲気ぷんぷんに構築された音の中で、『あなたのキスで/もう身体も脳も溶けてしまいそう』と、官能に溺れる「19才」の少年。さて、この主人公の「僕」はなぜ、19才というなんとも微妙な年齢でなければならなかったのでしょうか。
それは、その「なんとも微妙な年齢」だからこそ、なのではないでしょうか。
十代は若さと青春を謳歌するものだ!というイメージが一般的にはあります。そして、いわゆる「青春ど真ん中」というと、それはおそらく「19才」ではなく、はたまたローティーンでもなく、その間…16〜18才あたりを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
それは、青春ドラマやスポーツ・恋愛漫画の多くが高校を舞台にすることからも、市民権を得ている共通感覚だと思います。
歌もまた例外ではなく、たとえば『伊代はまだ 16だから』の有名なフレーズで知られる松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」は砂浜を恋人と二人で走るというお約束な青春風景が語られています。また尾崎豊「17歳の地図」には、大人や社会や周囲の全てに苛立ち若さをもてあます少年の姿が描かれています。18才は、言わずもがな「卒業」をテーマにして大量の歌が作られていますね。また、一般家庭を基準に考えれば、地元を離れ東京に働きか勉学かで出てくる「上京」の歌もまた、この年齢ならではの曲ばかりと言えるでしょう。
ではそれを踏まえて、「19才」とはどんな年頃なのでしょうか。はるばる田舎を離れ上京してきたはいいけれど、都会暮らしはなかなか大変だ…と思い始める時期。もしくは、あちこちの誘惑に負けて、身を持ち崩す日々。少し前までは大人に反抗していられたけど、気がついてみたら自分もまた汚い大人の仲間入りをする時が近づいてくる頃。高校の青春真っ盛りは過去のこと、大学でモラトリアム期間をすり潰す毎日…車の免許も取れるしパチンコもできるし18禁のビデオも大手を振って観ることができる、結婚だってできるけど、タバコはダメ、お酒もダメ、20歳までは何かと親の許可が必要…そんな中途半端な時期。まさに『宙ぶらりんな ユメ 19才』、大人と子供の境目で浮遊している年齢だ、と言えるのではないでしょうか。
上の話を踏まえると、19という微妙な年齢は、『くだらないって言わないで』みたいな言い方にも実は隠れていたりします。
『クロアゲハチョウのように/誇らしい羽根で飛びたい』と願うことを、くだらないと思いつつも、くだらないと思われるかもと考えつつも願ってしまう、この力加減。「くだらない、なんて思いもせず信じられる」ほどの純粋さはなく、「たとえくだらないと言われようと、俺はやるぜ!」と言い切れるほど尖ってもいないし、人目を気にせずにいることもできない。でも「くだらないから、くだらないと言われるからやめよう」と諦めることもまたできない…
そんな間に挟まれて、『くだらないって言わないで』という言葉があるのではないでしょうか。
おそらくは年上(=大人)の「あなた」に対し、余裕なんかまるでない『何ひとつできないぼく』。快楽に翻弄されつつ、乱れる心を屈折させつつ、それでも誇らしく飛ぶ日を夢見ているわけです。
チョウに自らを重ねるのは、キレイなイメージで羽ばたきたいのか、それとも、蜜を集めたい(=性に溺れたい)のか…ここをどう取るかで全体の印象もまた違ってくるのではと思います。とはいえ、『誰からも愛されたい』というこの思いは、単純に性愛だけからは出てこない感情だと思うのですよね。快楽的なだけではなく、19歳の少年が内側に抱える閉塞感そのものを振り払おうとするかのような、そんな意志があるんじゃないかと。
なので、個人的な感触としては、そこまでドロドロに徹している歌だとは感じませんでした。一見は異常とも思われるこの詞の世界ですが、実際のところはむしろ19の少年らしい普通の感覚を、ありふれた望みを描いているのかもしれません。
なんにせよ、スガシカオに関してはやはりこういう屈折や毒や倦怠がどこかに利いてこそ、忍ばせていてこそだなあ、とつくづく。若者の心情って、ただ爽やかでわかりやすいだけじゃないぞーという。
今度は嵐もプロデュースということで、そのうちジャニーズがスガシカオの毒にだんだん汚染されていったら面白いなあ、とか妄想してみたりも。
スガシカオ
コメント(0)| Track back(0) | 2006年07月11日
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