<まっすぐにポジティブにはどうしてもなれない人のための、屈折した現代的な暗さ>
ドラマ「白夜行」主題歌として、柴咲コウ自身が原作を読んで書き下ろしたとのこと。お話は知らないのですが、なんだか暗いってのは知ってます。っていうか武田鉄矢怖い。
今までのミステリアスかつ「一味違う」雰囲気を踏襲しアピールしています。ちょっと歌謡曲っぽいべたっとしたマイナー調に傾きながらも、3拍子、転調部分転調を繰り返すややトリッキーな曲の造りが「その辺の安っぽい曲とは違うぞ」的オーラを発散しています。オーケストレーションでの演出とかも壮大さを出そうとする方向性が伝わってきますね。…出だしとかはむしろ吹奏楽の曲みたいだったり、たっぱりどこか歌謡曲的なところを感じますが。
で、歌詞。
「暗い曲」のイメージに、イマドキの「暗さ」が感じられるなあという印象。たとえば『「僕は今どこにいるのだろう」/そんな立ち位置など/大して興味はない』という出だし。自分の居場所がわからない、的な疑問や不安を思い浮かべつつ、それについて「興味を持つ」=真剣に悩むことはしない、したくない、みたいな考え方があるという。思い浮かんでいるんだから興味がないはずはないんですが、そんなことを考えるのはバカらしい、と感じているわけですね。
同じことが、『一人など怖くない/そっとつぶやいた』あたりにも漂っています。悩んだり苦しんだり不安がる自分を「そんなのカッコ悪い」「意味がない」と自己否定し、大丈夫だと強がりつつも、どこかでやっぱり逃れきれていないような、そんな感覚。
そういう屈折した要素は、たとえば形を変えて『君が幸せ掴むように/偽日になり 祈ろう』というフレーズにも表れてきていると言えそうです。つまり「僕が君の太陽になる!」ってことなんですが、わざわざ「偽日」と独特のマイナスイメージ漂う言葉を当てているんですね。
柴咲コウのこういう曲が好きな人、共感を覚える人というのは、きっと「僕が君の太陽になる!」とまっすぐ明るく歌っちゃえる歌は、敬遠しがちだと思うのですよ。実質的には同じ意味合いでも、「しょせん偽物に過ぎないけど、君の力になれるのならこの身を捧げよう」という含みを持った「偽日」のほうに、よりシンパシーを感じるんじゃないのかなと。
柴咲コウ
コメント(2)| Track back(0) | 2006年04月22日
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