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ソニーミュージックエンタテインメント
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<沖縄より先へ、「ほんのちょっと、別の世界」韓国>
韓流ブームについては、いわゆる「沖縄」が特別視される傾向と似たものがあるのではないか、と考えています。これは世間であんまり言われていないけど、自分では、なかなかいい線ついてるんじゃないかと思ったりしている仮説なんですが。
音楽に限らず、このブーム全体に当てはまると感じているんですが、まあここは音楽ブログなので、音楽にのっとって話していきます。
(曲についてだけ知りたい人は、最後のブロックまで飛ばしましょう)
先駆けになった「冬のソナタ」の主題歌、Ryu「最初から今まで」からずっとそうなんですが、「韓流」と銘打たれて世に出される歌は、どれも「邦楽よりも邦楽っぽさが濃い」曲が多い、すごく「歌謡曲っぽい」なあと感じています。
歌謡曲っぽいとはどういうことかというと、それは「コード進行への依存度が高い」ものだと考えています。和音の移り変わりの循環パターンが前面に出て、それを元にしてメロディを構成しているんじゃないかというフシがあるくらいにコードの作用が大きいと、「ベタベタっぽい」けれど「はっきり耳に残る」、わかりやすく受け入れられやすい音楽になります。
韓流の音楽はそういう狙いがあるのかどうか、どれもいわゆる「泣き」のコード、それをきっちりなぞるメロディラインを有していまして。パッと聴きさわやかな、韓国でヒットした曲のカバー華原朋美「あなたがいれば」も、実際は間奏にパッヘルベル「カノン」という、日本人が大好きなコード進行を持った曲がフィーチャーされていたりとかしまして。
「韓流」の音楽は、日本のそれとほとんど変わりありません。大学時代に二度韓国に旅行に行きましたが、CDショップに入って聴こえてくる歌は、日本とまったく違和感もないくらいで。むしろ、上で述べたように、今ブームに乗って出されている曲の傾向は、日本の今のポップスよりも邦楽のルーツに近い位置にあるように考えています。
では、なぜそれがヒットするのか。
それは、「韓国」が、たとえば90年代には「沖縄」だった位置に今あるからではないかな、と思うんです。
国内、自分の周りとさほど変わらない。だけど、「ほんのちょっと、別の世界」である。そんな安定感と違和感の狭間にある場所、それが90年代は「沖縄」でした。たとえば安室奈美恵ですが、彼女は沖縄出身だからといって、普通とは違う音楽性を持っていたというわけではなく、小室哲哉により東京の流行のど真ん中のダンスチューンをやっていて。実際に沖縄音階を取り入れた「NEVER END」がやはり彼女の経歴の中で「異色」に思えるというのは、他の曲はみんな一般的な歌だったということの証明です。
SPEEDやMAX、DA PUMP、Kiroro、…、えとせとら。沖縄音階を使っているわけでもないのに、「沖縄出身」であることがひとつのステータスみたいになっていた時期が、確かにありました。今でも、まだなんとなく残ってますよね。昔ほどブランド性がなくなってきましたが。
あ、今思いつきましたが、ただ「沖縄出身」であることに価値がなくなってきたのは、元ちとせの登場からではないでしょうか。彼女は厳密には沖縄ではないですが、島唄の歌い方を駆使して「ほんのちょっと、別の世界」からやってくるだけでなく、その世界の音楽を持ち込んできましたから。
で、00年代。そんな「沖縄」に代わる素材として、「沖縄」よりも少し遠めで、でも音楽的にはそう変わらない文化を持つ「韓国」が選ばれた…そんな気がしています。
これで、しばらく韓流が根付いて、さまざまな歌い手がポップチャートを賑わし続けるようになって…その後で、たとえば韓国の民俗音楽である「パンソリ」の歌唱法を生かした歌手が出てきたりとかして、それから衰退していく…とかなったら、自分の仮説に沿って「歴史は繰り返す」という感じになって愉快なんですが。
実際のところ、音楽に限った話でもなくて。これは大多数の人に同意していただけると思うんですが、ヨン様が日本人だったら、ここまでの人気はでなかったでしょう。「韓流」俳優に関しても、お隣のアジア人同士そう変わらない体格と顔つきである「安心感」を感じる中に、やはり別の国である「違和感」、あるいは「希少性」が加わって、魅力的に思える…ブームになった原因は、そんなとこなんじゃないかなと考えるわけです。
この曲はドラマ「H2」の主題歌だったということで、ドラマで聴いて「韓流」と知らずに気に入った、という人も多いようです、アマゾンレビューとか見ると。でもそういう人も違和感なく好きになれる、というのは、やはりそれだけ日本のポップスらしい曲だということですね。
詞は、最大級に未練の強い内容。こういうのをまっすぐに歌う、青臭さ純粋さに徹するというのは、「ほんのちょっと、別の世界」の人だからこそでしょうか。「冬のソナタ」も、純愛が売りでしたし。
きっと母国語を歌うよりも、意味のわからない(わかるとしても馴染みにくい)他言語で歌うのは、歌詞に感情が込めにくいと思うのですが、その辺がけっこううまく行っているように感じます。これはきっと、ハイトーン部分に大事なフレーズが来ているせいだろうなと。一番わかりやすいのは、もっとも高音で声を張り上げている箇所が『君も何処かで微笑ってる』など、出てくる三回とも今はいない「君」を想う内容が当てられている、という。そういうのって、意外と聴き手の心理に影響してくるものなんじゃないかなと。
K
コメント(4)| Track back(0) | 2005年04月23日
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