<託宣のような、あまりにも決定的に訪れた「始まり」の歌>
すでに別サイトにて解説済みなのですが、こちらでも一応、スタンスを分けて書ければなあと。
「春の歌」は1月のアルバム「スーベニア」からのシングルカット。アルバムでも1曲目だったように、とても「はじまり」を感じさせる内容になっています。あれこれ苦労したけれど『実はまだ始まったとこだった』。辛かった過去を振り返り、改めて今決意して進んでいく…というと非常にオーソドックスな歌ですが、そういう種の歌がたいてい「これからも辛いことがあるだろうけど」という論調なのに対し、この曲は「春」がきたということ、『朝の光にさらされていく』という一文など、今この時からきっぱりと明るい方向に転じていく、みたいな強い確信があります。
それは、印象的で力強いサビ始まりの『春の歌 愛と希望より前に響く』という一文からもうかがえます。「愛」や「希望」を求めるがゆえに新しい一歩を踏み出すのではなく、そういう意識が働く前に「春」=「はじまり」がやってきたのだ、という絶対的、運命的な強い響きがあるんですね。意志、なんてレベルではなく、「天からの啓示」くらいの勢いで、この曲の「春」はやってきています。
カップリングで新曲の「テクテク」もまた、前に歩き出す歌。
こちらは「春の歌」ほどの強さはないです。「春の歌」が今までも、そしてこれからも駆け抜けていくような疾走感があるのに比べ、こちらは立ち止まっていたところから、タイトルどおりマイペースでゆっくりと歩き出すような印象。
『振り向きつつ 僕は歩いてく』という言い方がポイントで、過去(=「君」との日々)にとらわれ続けるのでも、忘れ去るのでもなく、ちょっと気にかけつつも歩みは止めない、と、適切かつ素直に思い出を咀嚼し、取り込んでいるように感じます。ちょっと弱腰っぽいけれど、こういうのも強さなのかなと。
スピッツ
コメント(0)| Track back(0) | 2005年06月09日
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