<抑揚なく淡々と歌いつつも、「別れ」を暖かい目線で描く>
女子高生が暴力団組長になるというショッキングなストーリーを15年ぶりにリメイクしたドラマ「セーラー服と機関銃」。その主演を務めた長澤まさみが、役名の星泉でリリースしたのがこのCD。
ちなみに薬師丸ひろ子が歌った曲のリメイクカバーなのですが、元で使われたのは1981年の映画版。1982年に放映されたドラマ版は原田知世主演・主題歌は「悲しいくらいほんとの話」とのことです。
昭和の名曲そのままといった雰囲気の、エコー多めの起伏を作らない曲調。そこに乗るボーカルもまた、平板で淡々としています。これを指して「下手だ」というのは筋違いで、こういう曲はできるだけ感情を込めずのっぺりと歌うのが作法なんじゃないかと。むしろそれに徹することができずちょこちょこ抑揚ができていることのほうがマイナスかなと思うのです。
タイトルはあくまでも作品名で、歌詞の内容は特にそこに沿っているわけではありません。そもそも一人称は「僕」で、『いつの日にか 僕のことを想い出すがいい/ただ心の片隅にでも 小さくメモして』と、「君」に別れを告げる/見送るような状況になっています。「想い出すがいい」という言い方に時代を感じますね。今はこういう言い方をする女性ボーカルは思いつきませんが、当時はきっと女性に「僕」視点で「〜するがいい」と言わせることに新鮮さがあったのでしょう。あと「想い出す」という表記になっているのがちょっと驚き。こういう表記の遊びかたってこの頃からもうあったんですね。
『さよならは別れの 言葉じゃなくて/再び逢うまでの 遠い約束』という出だしのフレーズはけっこう有名です。別れ際にもまた逢えることを願う心情をメインに据えるのはJ-POPの昔からのお約束といったところでしょうか。ただこの曲の場合、『きっともどっておいで』という呼びかけからも読み取れるように、対等な恋人関係というよりはどこか暖かく見守る保護者的な目線があるようです。「君」がこれから希望を持って旅立っていく、という描写からも、年若い少女にエールを送っているような気がします。そのあたりは作品のストーリーも意識されているのでしょうか。でも『このまま何時間でも 抱いていたいけど』とあるからやっぱり「僕」は「君」に恋しているのでしょうし…その辺は時代なんでしょうかねえ。
にしても『都会は秒刻みの慌しさ』みたいなフレーズ、15年を経た今でも変わらずありますね。そう考えると、時代や社会っていうのはいろいろ変わっているようで全然変わっていないのかもしれないなあとも感じてしまったり。
星泉
セーラー服と機関銃
長澤まさみ
コメント(6)| Track back(0) | 2007年01月27日
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