|
SunSet Swish「マイペース」
|
 | マイペース
ミュージックレイン
SunSet Swish, 石田順三, 坂本昌之, 冨田勇樹, 蔦谷好位置
このアイテムの詳細を見る |
<マイペース?体育会系?数え歌方式の効果>
最近は新しい名前や曲を覚えるのもなかなか大変ですが、こちらは頭の『一つ、数えて進めばいい』がインパクト大で、すぐ頭に入ってきました。ただ掛け声を入れるだけでも印象に残りやすいものですが、それをひとつふたつと数えることで、より聴き手を引き込みやすくなっているわけですね。
数え歌というのは覚えらやすいものです。「一つ、人の世の生き血をすすり…」とか、「いっぽんでもにんじん/にそくでもサンダル」とか、「ひとつふたつはないけれど、みっつみぎにもはげがある」とか、これはもう非常にキャッチーなわけです。
数え歌なやつだけでなく、曲中にはもうひとつ『オフェンス!』という掛け声もあります。なかなか珍しいタイプです。『苦しい時にこそ声を出していこう』と続くと、中学のバレーボール部時代によく言われたなあと思い出します。体育会系ノリですが、でもこれってまさにそうなんですよね。弱気にならないように自分を奮い立たせるわけです。
そういう体育会系なノリもありつつ、ラップっぽく軽く韻を踏みつつ歌ったと思いきや、ゆったりとメロディアスな部分もあり。くるくると曲調が変わりますが、ボリューム感はあるにせよちぐはぐな感じはしないし、どこも頭に入って来やすいつくりですね。ヒップホップの一部が段々歌モノに近づいてきているように、歌モノだけどラップに近い曲、という印象があります。
よくできた曲だなあと思います。ひとつ気になる点を挙げるなら、『オフェンス!』と攻めの姿勢でぶつかっていくことと「マイペース」は果たして両立するものなのか?ってこと。周りを気にせずにやれ、って意味では共通しているものの、若干違和感があります。まあ、そんなことをあんまり気にして聴くのもなんですね。とりあえず声を出していきましょう。「ひとつ!」「オーフェーンス!」
SunSet Swish
コメント(0)| Track back(0) | 2006年05月20日
|
|
スキマスイッチ「ボクノート」
|
<複数の要素を絡めて展開させていく、緻密な構成づくり>
スキマスイッチ、「雨待ち風」に続くシングルは、暖かみを感じさせるミディアムバラード。詞・曲ともに、細かい部分まで考え込まれて作られているのがよくわかる作品になっています。
曲の中には、緩やかなストーリー展開があります。それはネガティブ→ポジティブという非常に基本的な流れではあるものの、複数の要素を組み合わせて展開されていたりして、非常に緻密です。
まず、「雨」→「晴れ」の流れ。
曲は『耳を澄ますと微かに聞こえる雨の音』で始まります。静かに始まるイントロやメロの入りも合わせて象徴しています。それが、後に示すメッセージの展開と絡み、悩みから抜け出したことに重ねて『空は泣き止んで雲が切れていく』→『光が差し込む』と示されていきます。
次に、いちばん重要なコアメッセージの展開。
主人公「僕」は自分の気持ちを言葉にしようとしています。が、なかなかうまくいかない。『考えて書いてつまづいて消したら元通り/12時間経って並べたもんは紙クズだった』と、タイトルにもある「ノート」を感じさせつつ、自己表現の難しさをまずは述べています。それは1コーラスのサビで『今僕の中にある言葉のカケラ』が『喉の奥、鋭く尖って突き刺さる』とあるように、「苦しみ」として歌うわけです。
ただ、悩んでいた1コーラスが終わり、2コーラス目に入ると、『迷い立ち止まった自分自身も信じていたいな』という視点が出てきます。そして、あれこれ考えて動けないよりも『抱えている想いをひたすらに叫ぶんだ』と、吹っ切れるわけです。空が晴れていくのに沿って、「苦しみ」だった「言葉のカケラ」は、迷わないでどんどん形にしていくことで『一つずつ折り重なって詩になる』と歌われます。
ここに、さらに「君」の存在が加わります。
そもそも「僕」が悩んでいるのは「君」に想いを伝えたいからでした。『僕のいるこの場所は少し窮屈だけど』、それでも前を向けるのは『君の声がする』から。吹っ切れて想いを叫ぶ先には、『その声の先に君がいるんだ』『ありのままの僕を君に届けたいんだ』と、やっぱり「君」の存在を見ているんですね。
全体的には、とても内省的な面が目立つ歌です。しかしそこに要所要所できっかけを与えているのは「君」の存在で、「ボク」の心境が中心に据えられていながらも、きっちりラブソングとしても成立するような作りになっているわけです。
自己を見つめるメッセージソングって、「恋愛」要素はとりあえず入れておかなきゃ的な、おざなりな引き出され方をするパターンが多いんですけど、その辺りきっちり配慮している感じがします。
さらに、そこに「雨/晴れ」という情景描写を用いることで、単に頭の中だけで考えているような抽象的世界にとどまらず、映像的な広がりを加え曲展開を彩ることもしているわけですね。ラスト近くに『この声が枯れるまで歌い続けて/君に降る悲しみなんか晴らせればいい』というフレーズがあいますが、これは「僕」の吹っ切れた意志、「君」への想い、そして「晴らす」という単語を使うことで、天候の移り変わりにもかぶせているわけですね。この詞の要素がここで凝縮されていて、非常にテクニカルなフレーズと言えるでしょう。
ちょっとだけ残念な点を挙げるなら、『微かに聞こえる雨の音』…『確かに聴こえる僕の音』…「ボクノート」のつながり、はじめはおおっ!と思ったんですよ。「聞こえる」「聴こえる」とか芸が細かいですし。が、この「僕の音」=「心臓の鼓動」が、直接どこかにかかってはいかないのですね。鼓動のリズムに合わせてこの想いを歌う!みたいな一語があったら完璧だったかも、と。
とはいえ、普通の倍くらいは濃い緻密な構成になってます。そこをミスチルばりの口語調での語り方や自然な展開で、一見そこまでスゴくないように見せかけているのもいいですね。クドくて胸焼けする、ということもないバランス配分。やっぱり次世代のポップスユニットですよ、この人たちは。
スキマスイッチ
コメント(0)| Track back(0) | 2006年05月13日
|
|
SOPHIA「エンドロール」「brother&sister」
|
<区切りだけど終わりじゃない「卒業」/「この時代」に対しての不敵な反抗心>
デビュー11年目を迎えたSOPHIA、2枚同時発売シングル。表裏とジャケットが違うだけで内容は基本的に一緒だったりしますが。
さて、もうキャリア的にはベテランですが、今作もそれぞれ相変わらずフレッシュな音楽です。このみずみずしさはホントすごいよなー。
卒業をテーマにした「エンドロール」は、バラードではなく裏拍ノリのアップテンポ。デビューくらいの雰囲気も感じさせつつ、メロからいきなり最高点までスコーンと突き抜けたりする自由奔放なメロディラインはむしろ最近のものという感じ。
面白いのは、『流れない エンドロール』と、タイトルにもなっているエンドロールを否定していること。つまり、卒業して離れ離れになるけれど、それは決して終わりじゃないんだ、ということなんですね。『幕が降りても鳴り止まない拍手』が起こるくらいに、素晴らしい時間があったからこそ「まだ続いていくんだ」と思える。そんなところでしょうか。
あと印象的なのは『君に伝えきれなかった事がたくさんあるけど/それでいいさ 伝わらない言葉がまた出逢わせてくれる』という一文。すべて伝えてしまっていたらそれこそ「終わり」だったけど、まだこれから伝えようとするから、続いていく…心残りを前向きに描くこういうフレーズって素敵だなと思います。
さて、一転して「brother&sister」は、こちらはヘビーな音に乗せ、お得意の皮肉を混ぜつつメッセージを込めた一曲。サビはずっと叫びっぱなしでテンション高いです。
『生きる為に まず疑って』とか『偽りの未来は うんざりね/いつまでも ごまかしきかないね』など、割合ありきたり感もある現代批判がベースにあります。ただ、心底うんざりしているというよりは、SOPHIAの場合どこか不敵に微笑んでいるようなところがあって。
『いつも 目を逸らしてきたけど/いつも 耳を塞いできたけど』とか『逃げて逃げて ココまで来たのね』という自分やbrotherやsisterやら(つまり、みんな)の弱さを浮き彫りにするときにも、あんまり悲壮感とか絶望感とかは感じられません。また逆に、弱い自分をなぐさめたりとか、弱い自分を認めてここから歩き出そうとか、そういうドラマチックな盛り上げさえも込められていないような感じがします。
「どんな時代であろうとも」、またそれと同じ意味合いで「どんな自分であろうとも」、『越えられぬ壁に響け fade away』と叫ぶ。時代にうんざりしても自分にうんざりしても、それでも前に進もうとする気持ちを胸に、ということなんじゃないかなあと。
「fade away」=「消え去れ!」な辺り、「壊せ」とか「乗り越えろ」とかよりもなんだかSOPHIAらしいですね。消えろと叫ぶだけで、実際に行動に移すかどうかは問題にしない、ただ現状に流されない反抗心だけは持っていろ、みたいな。
SOPHIA
コメント(0)| Track back(0) | 2006年04月28日
|
|
Janne Da Arc「振り向けば…」
|
 | 振り向けば… / Destination
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ ジャンヌダルク, yasu, kiyo
このアイテムの詳細を見る
|
<現実に即した卒業という題材を選ぶ、ロックバンドらしからぬポップ志向>
昨年「月光花」がスマッシュヒットし、年間シングル売り上げ22位にランクインしたジャンヌダルク。カテゴライズするとビジュアル系として出てきた記憶がありますが、あんまりそういう曲は作らなくて、割とどの曲もポップなんですよね。今回なんか川嶋あい「旅立ちの日に・・・」を思い出しちゃうくらいの、真正面からの卒業ソングですし。
ビジュアル系に限らず、バンドって、こういう現実感のある歌ってあんまり作らない傾向があると思うのですよ。卒業っていうテーマがまず稀だし、『最後の制服』とか『広いグラウンド』とか、具体的なのって、珍しい。他にGLAYぐらいしか思いつかない。
どっちかというと、空想的な世界を作ったり、抽象的なことを語ったり、非日常空間を作ろうとするんですよね、バンドの方々って。「カッコよさ」を追求したいって衝動があって、そうするとリアルな内容よりも非リアルな内容のほうがカッコよくしやすいわけです。
そういう意味で、ジャンヌはロックというよりも、ポップスの文法で曲を作っているし、そういう志向があるように感じます。やけにエロい曲とか作るのも、パフォーマンス精神が旺盛だからなのかな、みたいな。
真っ当なバラードなんで、詞へのツッコミどころがありません。卒業と同時に発生する二人の「別れ」を描いている中、ラストが『振り向けば君がいて また何気なく…』と、出だしと同じ言葉で入り途中までで終わっているのが、なかなかうまいなあと。そこにはもう「君」はいない、あるいは思い出になっていく「君」の幻だけがある…みたいなことを、語らずして想起させるわけですね。
あと、『ずっと覚えてて下さい また思い出して下さい』と、急に言葉遣いが丁寧になるのって、なんでこう揺さぶられるものがあるんでしょうね。呼びかけるところだけ、ですます調になったりするのとか、最近けっこう見かけるような気がします。他とのギャップがいいんでしょうか、やっぱり。
Janne Da Arc
コメント(0)| Track back(0) | 2006年04月20日
|
|
SOUL'd OUT「TOKYO通信〜Urbs Communication〜」
|
 | TOKYO通信~Urbs Communication~
SE SOUL’d OUT, Diggy-MO’, Bro.Hi, Shinnosuke
このアイテムの詳細を見る
|
<超高速で畳み掛けられる言葉は意味を失い、メロディと響きに溶ける>
超絶技巧ヒップホップユニットSOUL'd OUTの新曲は、都会的な香りのするバックトラックが印象的です。「都会的」って言葉の響き自体がなんだか80年代っぽいですが、そういうどこか古めかしい雰囲気もありつつ、その辺りはけっこううまいこと「レトロさ」みたいなプラスの方向に誘導している感じ。
ラップは、いつもながら、もはや何言っているかわからないレベル。サビの何度も繰り返されるキメのとこ『KEEP AN ATTITUDE TO LIVE UP』って言ってるんですが、絶対に聴こえない。「きびなってんるぶりば」って聴こえる。
前にもどっかの曲で書きましたが、彼らの特徴は3連リズムを混ぜ込んでくることで。部分部分、普通なら2語のところを3語詰め込んでくるんですね。よく舌回るよなあ。もはやらっぷというよりはギターソロとかに近いです、はい。
なんというか、もはや言葉の意味よりも音の響きで魅せる、みたいに思ってるんじゃないでしょうか。『PEOPLE あっぷあっぷ/UP AND DOWN で HOLD OUT』とか、いちおうはテーマとして『飛び込んで情報の海を渡れ』、都会の情報の洪水の中を生きろ、みたいなことを言っているっぽくもしておいて、実際のところは「p」を中心とする破裂音の響きをいかに畳み掛けてカッコよく聴かせるか、みたいな意図でフレーズを作ってあるんだと思うのですよね。だから、歌というよりはもはやスキャットのように聴こえるわけで。
で、この曲のすごいところは、それだけ洪水のように流れる言葉の大部分がメロディに乗っていること。歌っぽいヒップホップはそれなりにありますが、それって「音程がある」レベルなんですよね、たいていは。こんなに上に下に動き回るタイプは聴いたことない。それがきっと、彼らの今までの曲よりもキャッチーというか、聴き手を引き込みやすい導線になっているように感じます。
やー、純粋にすごい曲だわ。
SOUL’d OUT
コメント(0)| Track back(0) | 2006年04月10日
|
|
SMAP「Triangle」
|
 | Triangle
ビクターエンタテインメント SMAP, 市川喜康, 小西貴雄, 篠崎隆一, h-wonder
このアイテムの詳細を見る
|
<いびつな三角形によって示されるのは、すべての人の間にある相互関係の存在>
巨匠達に囲まれて誕生したしっとりシングル前作「友だちへ 〜Say What You Will〜」が今ひとつパッとせず、その後に昔の陽気な路線に戻すというかむしろ振り切れ気味だった「BANG!BANG!バカンス!」を経て、SMAPは再び「世界にひとつだけの花」のメッセージソング路線に戻ってきました。先に発表してあって、それが後にシングル化という流れも「世界に〜」と共通するもので、これはもう売り手側の意図が明確に出ているととってしまってもいいんでしょうかね。
花屋の光景から観念的な世界を語っていた「世界に〜」とはやや方向性が違って、この曲は、『どんなに目を凝らせど 見えないものばかりだ』と言い、その「見えないもの」だらけの世界を想像することから始まりつつ、常に現実の出来事をイメージさせるように語られていきます。それも、特定の話題に偏らないよう、かなり気を使って書かれているように感じます。「戦争」を思わせるフレーズが各所に入っていますが、それは過去の太平洋戦争も、現在のイラク戦争や日本とアジア諸国との軋轢うんぬんを語っているようでいて、そうと断言できないようになっています。「焦点がぼかされている」と感じる人もいるでしょうが、まあ、仕方ないかなと。この歌の伝えたい点はそういった個々の出来事でないはずですし、それならば政治・思想に踏み込むのは、聴き手を選ぶことになってしまいますから。
この曲でも用いられてますが、この種の曲は何かと「地球」を持ち出します。で、たいていはそのまま「円」のイメージで歌を作るものだと思うんですよね。でもこの曲はあえて「三角形」をモチーフとして提示することで、やはりそこには意図や、他の「円」の曲にはない効果があると思うわけで、その辺りを考えながら書いてみます。
『僕の手が キミの目が 僕らの声が』と呼びかけるように、この「わたし」「あなた」「みんな」の3点が「Triangle」の各頂点である、と考えてよいのでしょう。ここでは、「みんな」が「僕ら」と表現されるように、「僕とキミ以外」ではなく「すべての人」を指しているわけです。
なので、厳密に言えば、この三角形は形而上でしか成り立たないものであるわけです。が、だからこそ『それぞれ異なっているように/自由でこそ 命だから』であり『それぞれ重さの同じ/尊ぶべき 命だから』である、と歌うように、「みんなそれぞれ違っていて、でも同じ命なんだ」という着地点を、スムーズに導けるのかもしれません。…わかりにくいかな。
上に述べた、メッセージ性を強めすぎないよう、という配慮にもこのいびつな「三角形」は、効果を発揮していると思います。
「わたし」から「あなた」へ、あるいは「わたし」から「わたし以外のみんな」へという形でメッセージを伝えようとすると、直接向かい合う、直線的な伝達になります。しかしこの曲は、「わたし」が「みんな」のことについて「あなた」に語ってたり、あるいは「あなた」のことを「みんな」に教えようとしたりしているため、三角形を利用した間接的なメッセージ伝達になっています。そして、「わたし」は「みんな」に含まれているので、矛先を逸らしている、ということにもなりません。
『精悍な顔つきで 構えた銃は/他でもなく 僕らの心に/突きつけられてる//そう、/おびえるキミの手で』と締められますが、「キミ」が突きつけた銃は「キミ」自身にもまた跳ね返ってきます。「僕」も、またすべての人が、互いに互いを、そして自分自身を、常に問いただそうとしているわけです。精悍な顔つきで、だけど同時に、おびえながら。
作り手の意図は、聴き手にまずそんな意識を持ってもらうこと、気付かせることなのかな、と感じました。
※まとまりがない上わかりにくいので、ちょっと後で書き直すかもしれません。ご了承くださいと同時に、疑問点等のご指摘もお待ちしております。
SMAP
コメント(4)| Track back(0) | 2006年01月16日
|
|
サンボマスター「全ての夜と全ての朝にタンバリンを鳴らすのだ」
|
 | 全ての夜と全ての朝にタンバリンを鳴らすのだ
ソニーミュージックエンタテインメント
サンボマスター, 山口隆, 阿久悠
このアイテムの詳細を見る |
<全てを受け入れ、全てをさらけ出すために選ばれた「タンバリンの響き」>
サンボマスターは、現実的な歌を作ります。
たとえば多くの歌が素晴らしい未来を描き、そこにたどり着こうと呼びかけたりするわけですが、彼らははっきりと『夢に描いた景色など 君の前じゃ捨てちまうのさ』と言い切ります。理想を追い求めることよりも、「君」といる今このありのままの現実を進んでいこうとしているんですね。未来に希望を見いだすというより、現実で精一杯のことをしていく。そんな姿勢がはっきりと打ち出されています。
さて、そんな現実を踏みしめるこの曲ですが、なぜ鳴らすのは「タンバリン」なのでしょうか?
なんとなく「トライアングル」ではダメそうな感じです。じゃあ「大太鼓」ではどうだろう。「トランペット」のファンファーレのほうがカッコよくていいんじゃないか…とか、いろいろ考えてみることもできます。なぜ、タンバリンが選ばれたのでしょうか。
タンバリンというのは、裏表のない楽器です。や、もちろん叩く方が表ではあるんですけれど、そういう意味じゃなくて。「叩けば鳴る」そんな明快さがある楽器なわけです。何の技術も感情も入る余地はなく、叩けば鳴らすことができる、と。
もちろんいろいろな鳴らし方のテクニックは存在するんだけれども、「誰にでも鳴らすことができる」というイメージがある楽器だと思うんですよね。また、打楽器の中でもポピュラーで、どこにでも持っていけるコンパクトさ、明るい音だという印象もあります。「賑やかし」に効果的である、踊りながら打ち鳴らすこともできる、なんていうのもポイントかもしれません。
というわけで、彼らがこの曲で『鳴らせ鳴らせ心の声を』と歌うとき、「すべての人に」「悩んだりしないで」「明快な音を響かせろ」というメッセージを伝えたいがために「タンバリン」という楽器を選んだんじゃないか、と思うわけです。
「すべての夜とすべての朝」や『真白の雲と真っ黒な闇』『ずっとキレイなもの ずっとキタナイもの』の両面をありのまま受け入れるための、裏も表も感じさせないシンプルでまっすぐな響き。『本当さ ウソじゃないのさ』と主張するように、その音には何の意図も偽りも入る余地はなく、すべてをさらけ出さざるを得ないわけです。
『心の声』や『悲しみの過去』などを包み隠さずさらけ出そうというこの歌において、タンバリンは重要なイメージを担っているモチーフなのですね。
サンボマスター
コメント(0)| Track back(0) | 2006年01月01日
|
|
スガシカオ「奇跡/夏陰/サナギ」
|
<タイアップでも揺るがないスガシカオ的美学が、それぞれ別の方向に伸びている3作>
トリプルA面シングル。「奇跡」は爽やかなアップテンポ、「夏陰」は叙情的/感傷的な夏の終わりのバラード、そして妖しく危うく繊細な雰囲気の「サナギ」と、それぞれ異なる方向性を打ち出した3曲になっています。
このうち「奇跡」と「夏陰」の2曲は、この夏の甲子園関係の番組で使われていました。
以前にゆず「栄光の架橋」でも触れましたが、最近のスポーツ関係のタイアップは、「熱さ」を強調しない向きがあるように思います。や、もちろん白熱した試合をイメージさせるアップテンポの歌もなくなったわけではないですが、「栄光の架橋」はそれよりも「感動」を、そして今回のスガシカオ起用は「爽やかさ、涼やかさ」をイメージ付けようとしてのものなんだと感じます。
あと、やっぱり重要なのが、「等身大」っぽさでしょうか。特に甲子園は、高校球児たちが青春をかけてぶつかり合う、という点がやっぱり観るものにとって魅力的な部分なわけで。だから、個人の感情を浮き彫りにする形で曲を描くスガシカオが選ばれたってのもあるんじゃないかなと。
とは言え実際のところ、「爽やかなアップテンポ」というのは、スガシカオの本領ではないですよね。「奇跡」は、サビこそ言葉も音もとてもポップに響かせてきますが、メロはかなり屈折してますし。『昼間のマンガ喫茶のうすいジュース』とか『光化学スモッグ警報』とか、そんな夏の煌めきのない部分のイメージを並べてきたり、『ユメと希望って言ったって/ちょっと疑わしくって』なんてヒネクレたこと漏らしていたり、コレ本当にスポーツタイアップでいいのか?って感じです。
その辺の鬱屈した夏、屈折した感情を思い切りぶちまけたい、そんな思いをサビでうまく爽やかなイメージに昇華させている、といったところでしょうか。タイアップを意識しつつ、自分の表現したいことはきっちり譲らずに出しておく。うまく折り合いを付けたと言っていいんじゃないでしょうか。
「夏陰」は屈折や毒は含まれていないものの、気だるさのにじむ情感ある場面を豊かに描くというのは、SMAPに提供した「夜空ノムコウ」の詞を見てわかるとおり(そしてこのイメージで今回のタイアップがついたんだろうなあ)もともとの得意分野でしょう。『ずっと思いめぐらしていたら 足下までもう夜が来ていた』なんて、あれこれ問いを描き悩み、曲中では明確な答えを出さないまま、という構造はまさに「夜空ノムコウ」と同じものです。こういう「投げっぱなしの問いかけ」は、実に聴き手の心を揺さぶってくる手法ですね。
終わりゆく夏の中で、進んでいく時間を受け入れることに戸惑っている…どこを切り取ってもいい表現ばかりですが、しかしこの人は『開けっ放しの窓の向こう側で/ゆがんだサイレンの音がしている』とか、気持ちや詞世界に溶け合う情景描写がほんとにうまいですね。
そして「サナギ」…これアニメ映画タイアップなんですけど、よかったんでしょうか?ギリギリアウトじゃないですか?『体のうすい粘膜』とか『家畜』とか、どうなんだコレって単語や表現だらけなんですが。
まあ、そういう妖しい表現はただ奇をてらったってわけではなくて、ある種の倒錯した雰囲気や美学を作り上げているのには間違いのないところです。
女性視点で描かれていて、「あなた」を失い何も手につかなくなってしまった様子を、殻に閉じこもった「サナギ」と置いています。これって一般的には「抜け殻のようになってしまった」と表される場合が多いと思うんですが、この曲では「あなたを忘れる」=「いつか殻を破り羽を広げて生まれ変わる」日を待ち望んでいる、という構図になっています。これが「抜け殻」だと、そこまでは考えられない、本当に呆然とした様子になってくるわけで。それよりもずっと前向きなように「一見」感じられますが、しかし殻から抜け出す時を夢見ていながら『その羽でどこへ 飛んでいけばいいかしら』と浮かぶ疑問、あるいは『そんな日がいつか やってくるのでしょうか』と繰り返し繰り返し問い続けるのを見ると、むしろ痛々しく感じられてきます。
というわけで、スガシカオの魅力が多方面に詰まった1枚ではないでしょうか。ここにない方向性といったら、どこかサディスティックで背徳的なアダルトさくらいですか。
スガシカオ
コメント(2)| Track back(0) | 2005年10月10日
|
|
サンボマスター「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
|
<暑苦しさ、身近さを演出し煽動する「ハートの代弁者」>
サンボマスター、勢いに乗っています。もっとアウトローな位置に定着して、知る人ぞ知るコアなファンの集うタイプのミュージシャンになるかと思っていたんですけれど、この夏話題のドラマ版「電車男」の主題歌に大抜擢。この話を聞いたときは「ええ?」と驚いてから「ああー…ちょうどいいのかもなあ」となんだか納得してしまうような気分でした。
電車男関連は、リアルタイムで見ていた…わけではないですが、メディア的な広がりを見せる前に存在は知ってました。まあご存知のように「オタク男がネット上でアドバイスを受けつつ一般人の女性との恋愛を成就させる」と大雑把にまとめられる話なわけです。これは今まで何かと悪いイメージがつきまとっていたネットの匿名性の印象をかなりよくすることに貢献することはもちろん、世のオタク達に希望を与えることにもつながっていると思います。まあ、よくある話じゃあないと思いますけれど、人間頑張れば叶うんだよ、っていう希望にはつながるわけで。
で、典型的なオタクとして描かれている(実際にそうなのかどうかはともかく、そう扱おうとしている作品のスタンスが重要)電車男。そのテーマソングに、まあ、お世辞にも美形とは言えないサンボマスター。ルックスどうこうは基本的に音楽性に関係ない、鳴っている音楽が大事なんだ、と自分はそう考えてますけれど、サンボマスターはそのルックスゆえに「ルックスどうこうは基本的に音楽性に関係ない、鳴っている音楽が大事なんだ」という評価を得られるバンドである、ということは指摘しておかなければなりません。
ええと、で、このサンボマスターのスタイルというのは、「電車男」への共感と重なってくる部分があると思うのですよ。つまり、「一般にはちょっとモテなさそうなタイプの男が、ひた向きに頑張っている」という点ですね。その「まっすぐさ、純粋さ」が、共感を呼ぶのです。サンボマスターが演出するような、電車男が…ドラマも映画も見てませんけど、だいたい察しはつきます、電車男が見せるような。「要はハートだ、見てくれじゃない」っていうメッセージは、見てくれが優れた人が言ってもあんまり説得力はないわけですね。電車男だったりサンボマスターだったりするからこそ、納得させられる主張なのですね。
えー、なんだか非常に失礼なことを言っているように思われるかもしれませんが、この辺はおそらくサンボ本人達も理解して、むしろ利用してやろうとしているはずです。
彼らは、過剰なまでの暑苦しさをある程度意識して演じています、ほぼ間違いなく。だって、そうでなきゃ、録音した曲にセリフでの語りとか「ラブ・アンド・ピース」って叫びなんて入れませんって。
演じていないのであれば、ミュージシャンである以上は叫びではなくきちんと曲にその思いを組み込もうとするんじゃないかなと。そうはせず、ライブならともかくシングルで語ったり叫んだりするというのは、「暑苦しさ」のイメージをさらに強化するためのアピールなんじゃないかと思うわけです。『愛と平和!』と繰り返し叫ぶのも、「今どきそんなこと歌う奴なんかいないのに」と言われることを想定した上で歌っているんでしょうし…
まあ、ただ暑苦しいだけだとギャグになってしまうんですが(実際、パロディも出ましたしね)楽曲がよいので、とても効果的だといえるんじゃないかなと。
『昨日のあなたが 偽だと言うなら/昨日の景色を捨てちまうだけだ/新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ』と、過去は関係なく今これからを二人で行きていこう、というメッセージは、シンプルゆえに力強いです。過去を振り返って感傷に浸る歌が多い昨今、このシンプルな呼びかけは、『悲しみで花が咲くものか!』という叫びも合わせて強烈なカウンターパンチになっていますね。
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」というタイトル。毎回サンボは煽情的なタイトルをつけるのがうまいですが、注目したいのは「それ」です。「それ」が何か?ということではなくて、「それ」という指示語が持っているような「距離感の近さ」ですね。
上記で“過去を振り返って感傷に浸る歌が多い昨今、〜”と書きました。このタイプ、いわゆる「思い出系」は、「あの日」「あの思い出」「あんなに好きだったのに」などと、「あれ」系の指示語を多用する性質があります。またそれ以外の曲でも、「あの空へ」「あの道の向こう」などと使われますね。国語の教科書にも載っているように、「あれ」という指示語は、遠くのものを指すときに使います。曲のイメージに奥行きを盛り込むには、格好の言葉なわけですね。
それに対し、サンボマスターは「それ」です。「それ」は「あれ」よりも近い位置のものを指します。さらに言えば、相手の傍にあるものを指す言葉です。したがって、歌い手が「それ」と言うとき、聴き手は自分のすぐ傍にあるものを指示された感覚を受けているはずなのです。
「世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ」の「それ」は『僕らなぜか確かめ合う』というフレーズを指してるんじゃん、という指摘が聞こえてきそうなのですが、でもこの流れだと「これ」でも意味が通じてくるはずですね。
<世界じゃこれを愛と呼ぶんだぜ>
「これ」だと、歌い手が持っているものを聴き手に提示した、というような印象になってくるかと思います。対して、「それ」と言われると、歌い手がぐぐっと自分の手元に引き込んでくるようなベクトルが発生してくるような感触がしてきませんか?
この辺りはまさにサンボの、周りを巻き込もうとするスタイルがにじみ出ているような箇所だと思います。「それ」だけではなく、たとえば「過去」と言わずに『昨日』と「今」に隣接する単語を用いているのとかも、同じようなことだと感じますね。言葉の語尾が「〜なんだ」「〜だぜ」「〜のさ」と砕けた語調なのも合わせて、非常に聴き手に「近さ」を意識させる作りになっているなあと。それこそ前のアルバムのタイトル「サンボマスターは君に語りかける」というのは、自らの作る曲にマッチしているなあ、と感じました。
サンボマスター
コメント(0)| Track back(0) | 2005年10月02日
|
|
SMAP「BANG!BANG!バカンス!」
|
 | BANG!BANG!バカンス!
ビクターエンタテインメント SMAP, 宮藤官九郎, コモリタミノル, タカチャ
このアイテムの詳細を見る
|
<文章上とメロディライン上での「笑い」のテンポの違い>
ええと、ネットあちこち回っていると「歌詞が寒い」などと割と評判悪い感じなので、ここはひとつ頑張ってフォローを入れてみよう、と思います。
まず第一に、自分はこういうおバカな方面に突き抜けた歌詞が嫌いじゃないです。この曲は「世界に一つだけの花」の大ヒットでついたシリアスなイメージを揺り戻す、という意図がありありと透けて見えるわけですが、だったらやっぱりこれくらい派手にやってくれないと。
前作「友だちへ 〜Say What You Will〜」が出たときは、このまま大人っぽく含蓄のある路線に行ってしまうんじゃないかと思い、ちょっと寂しかったものですが…また「青いイナズマ」とか「Shake」とか、そういう変な曲を出してほしいなと思っていたので、単純に嬉しかったです。
で、ひと時のメッセージソング・ブームの最たるものだった「世界に一つだけの花」から、またポップな方面に戻ってきた、という姿勢も評価できます。このブログで繰り返し言ってきましたが、何の主義主張もない、ひたすらポップな路線が再び息を吹き返している…というのが自分の見解で。商業的に「売れる」歌を作るという命題のあるアイドル業界で、その代表格であるSMAPがメッセージソングからこういうバカ騒ぎ曲に移行している、というのは、自説の裏付けをしてくれていることでもあるわけです。
楽曲も、かなり凝ってると思うんですよねー。作曲のコモリタミノル(小森田実)は『SHAKE』『ダイナマイト』『らいおんハート』を手がけた人で、そっちにも言えるんですがとにかくちょっと真似できないメロディラインを書く人です。独特なリズム感を持ったかなり稀有な才能だと感じるんですが、それにしたって今回は実に難しいです。サビはまだともかく、メロとか相当歌いづらいですよ、これ。
あんまり評判のよろしくない、能天気な宮藤官九郎の詞も、別に悪くないと思うのですよ。前述のようにこれくらいバカやってくれると楽しいですし(同じことはモー娘。をはじめとするつんくファミリーにも言えますね)『スーツで海に飛び込んで』『海パンで国際線乗っちゃって』とか、バカだなーって非常にわかりやすく絵が浮かびます。
…では、何が問題なのでしょうか。
それは、この詞の持つ面白さが、今ひとつ「音楽」という形態にそぐわない部分があるからだと思います。特に「笑い」というのは、少し見せ方が違うだけで変わってくる微妙なものですし。
例えば、去年ウダウダと『バイクの免許欲しいな』と言っていた、というのが1コーラスで示されるのですが、これは2コーラスでそっくりそのまま繰り返され『(まだいってんの?)』とコーラスが入ります。これ、お笑いでよく利用される蒸し返しのテクニックですよね。漫才とかでも、これを効果的に使えるコンビは面白いです。
なんだかんだ言ってるうちに過ぎてしまう夏…それをコメディタッチで描く、という点では、よくできた構成だと思うのですよ。ただ、それはあくまでも文章の上の話であり、また会話テンポで進む漫才の上での話なわけで。曲の上、メロディラインの上だと、忘れたところでふと蒸し返す、という面白さが、あんまり感じられなくなってしまうというのはあると思います。
他にも、『男前だよ木村君/当たり前だよ前田さん』でオチはついているのに、そこをわざわざ『前田さんなんて ウチには いない』なんて笑いどころを説明する必要はないんじゃないかなと。しかも朗々と歌いつつ。
あくまでもこれは「歌」で、メロディに沿って歌う以上、文章上や会話での面白いテンポとは違ってくるわけです。だから、笑いどころがなんとなく間延びして感じてしまう…それが不評の一因なんじゃないかなと。
てなわけで個人的なまとめとしては、悪くないはずなんだけど、歌にしてはちょいと説明的過ぎるのかなー、というところですかね。どこがポイントかしっかり説明してくれすぎて、それが逆に興醒めしちゃうって部分があるんじゃないでしょうか。『バカンスって言葉の半分は』なんて言わなくて、「バカンス!バカンス!バカ!バカ!」くらい力押しのほうが良かったんじゃないか、みたいな。「SHAKE」なんか『チョーベリベリ最高 ヒッピ ハッピ シェイク』なんてハチャメチャなフレーズだって、受け入れられたんですし。
大げさに言ってみるならば、宮藤官九郎が脚本家として優れているために起こった悲劇というところですかね。バカな世界を表現するためにバカになりきれなかった…ま、単純にこのノリが肌に合わない人も大勢いた、ってことももちろんあるでしょうけれど。
SMAP
コメント(2)| Track back(0) | 2005年09月24日
|
|
| 前へ |