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GYM「フィーバーとフューチャー」
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 | フィーバーとフューチャー
ジャニーズ・エンタテイメント GYM, H.U.B., A to Z,黒澤直也,矢崎俊輔
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<「派手めの演出を」という点で一貫しているキャラクター作り>
ユニットで「青春アミーゴ」、主演ドラマの主題歌としてソロで「抱いてセニョリータ」をリリースし、どちらもヒットを収めた山下智久ですが、ここにきてなんとタイの兄弟アイドルGOLF・MIKEとユニットを結成。基本的には女子バレーボール・ワールドグランプリのサポートのための期間限定ユニットだということで。
タイ人との相乗効果を狙うのかと思いきや、中身はいかにもな煌くジャニーズポップスサウンド。歌詞も『ジュースの空き缶投げてみたら』とか、あんまりワールドワイドな感じがしません。身近な日常応援ソング、といった感じでしょうか。
『青春でフィーバー ムチャクチャなフューチャーがいいね』なんて、真摯なメッセージとかってレベルをスコーンと突き抜けちゃった陽気さが感じられます。「抱いてセニョリータ」にあった過剰さを引き継いでいるのでしょうね。哀愁ぽさを抜いて、それを元気よさに変えたようなサウンドも、歌謡曲的なセンスはブレずに継続しているような印象。
彰時代から今回までずっと、ちょっと演出の利いた「スター性」を、山下智久というキャラクターに背負わせたい!みたいな意図がバックにはあるんでしょうね。あれこれ様式や曲の内容は変わりつつも、その辺は一貫しているかなと。
ただ、哀愁調の歌謡曲っぽかった前2作と比べて、今回の楽曲は少々物足りない感もあります。サウンドはビンバンポロポロ鳴り渡るジャニーズ的豪華さを保っていますが、メロディラインですね問題は。前よりも粘っこくなくスッキリめなぶん、歌われている歌詞の一語一語もちょっとスッキリしてしまっているというか。特に外国の人を起用しているから、ちょっとたどたどしくもあり。ここは旋律への言葉の乗せかたとかをもうちょっと考慮してもよかったのかもなあ、という気がしました。
GYM
山下智久
NEWS
コメント(0)| Track back(0) | 2006年11月28日
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Kaoru Amane「タイヨウのうた」
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 | タイヨウのうた (通常盤)
ソニーミュージックエンタテインメント MAIKA SHIRATORI, MARIKO NAGAI, JUNJI YAYOSHI, COZZi, Kaoru Amane
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<王道をシンプルに表現することで、感動ストーリーの受け皿として機能する>
この夏の話題作「タイヨウのうた」そのドラマ版でヒロインを演じた沢尻エリカが歌う、ドラマのタイトルが冠せられた劇中歌。演出上、主人公の雨音薫が作って歌っているということになっていますが、現実に作詞作曲をしたのは白鳥マイカというシンガーソングライターだそうです。
主題歌の柴咲コウ「invitation」よりも、そして映画版に主演したYUIの歌う映画主題歌「Good-bye days」よりもセールスを伸ばし、あれよあれよという間に今年有数のヒットにまで達しました。その内容は、先にまとめてしまうと「王道をごくシンプルにまとめたバラード」です。それほど変わったテーマでもないですし、それほど特徴のあるメロディラインやアレンジや歌声で形成されているわけでもありません。
『笑って 泣いて 君と出会えて/見える 世界は 輝きだした』そんな心情を、「太陽」をモチーフに各所に織り込んでいます。その中で、『私のうた 君を 照らすよ』というように、自らの歌を「太陽」と重ね合わせ、世界を開いてくれた「君」に届けよう、そんな思いが表されている、という。
「うた」に重きを置くところあたりはきっとドラマ主人公としての立ち位置を考えてのことでしょう。ただ、全体として作品に密着しているというよりは、その背景ナシでも通じるような内容になっているかなと。
でも、『ひまわり揺れる』というわかりやすいイメージを挟んだり、『やっと気づいたんだ』『答え』『私のまま』『ありがとう』『忘れはしないよ』あたりの、普遍的に人の心を掴む、ぶっちゃけお約束のフレーズが並んでいるので、物語との関連性が薄くても、感動できないという事態にはならないのですね。むしろ、知らない人でも引き込めるプラス要因になっているわけです。
作品を知らない人でも入れて、知っている人ならより深く没入できるような、シンプルに見せつつもじゅうぶんに練られた下地。その上に感動できるストーリーが乗って、それでこそのヒットなんだろうと思います。
Kaoru Amane
沢尻エリカ
コメント(2)| Track back(0) | 2006年11月27日
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GLAY feat.KYOSUKE HIMURO「ANSWER」
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 | ANSWER
東芝EMI TAKURO, GLAY, 佐久間正英 , GLAY feat.KYOSUKE HIMURO
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<コラボ相手に合わせ、「愛の哲学」ではなく「愛の美学」にシフトする詞>
GLAYと氷室京介のコラボレーション・シングル。「夢のコラボ」と呼ぶとすると、それはむしろBOOWYの影響を公言してきたTAKUROにとって、という面が一番大きそうな気がします。メディア露出をほとんどしない氷室京介がこうした企画に乗ってくるというのはなかなか事件だったりするんですしょうが、でもこのコラボはあんまり違和感なく、そこまでのインパクトも個人的にはなかったですねー。おお、ついにきたかー、という感じ。
もっとGLAYよりの曲になるかなと思いきや、リスペクトもあるからか、だいぶHIMURO寄り(そのものではないにしても)に曲ができているなあ、という印象を受けました。音にしてもデジタルを多用していたり、メインボーカルが氷室でそれに合うように配慮されていたり。
TERUはメロではバッキング、サビではだいたいハイトーン部分担当。パート的には多少控えめになっているんですが、それでも声に存在感がありすぎる気も…さらにもうちょっと抑えたほうが、HIMUROボーカルがもっと生きたかもなあと。
歌詞も、『感じて欲しい 導くまま 愛の方へ落ちておいで』とか『淡い想い プラチナの 日々が終るね』とかは、氷室の楽曲を意識したフレーズを意識しているんだなあと思えます。
GLAYって「G4」でも触れましたけど、愛の哲学を語る傾向があって、ずっしり感があるんですね。そういう特徴的な部分をできるだけ排除して、ヒムロック的「美学」に寄り添おうとしているのがわかるというか。
特にそれがよくわかるのが、サビのキメ部分『2人がもし また出会えたなら/その時には 感じて欲しい “LOVE IS BEAUTIFUL”』。曲の結論に「愛は美しい」という「美学」を持ってきているんですね。普段のGLAYだと「あの愛とは、二人にとって〜」とか、意義のある結論を見出そうとするんじゃないかなーと。そこを理屈じゃなく感覚で、さらりと言っているわけです。
ま、もともとTAKUROの詞に遊び心がある場合、BOOWYなキャラの影響あるよなあと思う場面もありますし、またこの曲でも『愛の意味は今でもよく判らずに生きているけど』とあれこれ考えていたりはしますので、そこまで変えてきたって雰囲気はないですけれども。
GLAY feat.KYOSUKE HIMURO
GLAY
氷室京介
コメント(0)| Track back(0) | 2006年11月12日
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桜塚やっくん「ゲキマジムカツク」
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<バリバリの音の中にほとばしる怒りが面白さをかき立てる>
はい、人気沸騰中の女装コメディアン桜塚やっくんです。
お笑い芸人のCD発売っていうのは、大きく分けてだいたい3種類あります。
まず、ひとつはネタをそのままひとつの歌にまとめてしまうやり方。その人の芸風をいかんなく発揮した内容ですが、問題になるのは、当たり前のことですが録音されたものなのでネタが古びてしまうこと。特に瞬間的な人気が出た芸人がその勢いでCDを出すと、持ちネタに飽きられてしまうのを早める一因になってしまっているフシがあります。
例: はなわ「伝説の男〜ビバ・ガッツ〜」、波田陽区「ギター侍のうた」など
次に、ネタ関係なしで出す場合。とはいえ本人達のキャラクターによるイメージで作成されるものが多かったり、パロディ的な要素が多かったりします。この走りは間違いなくとんねるず。コミックソングから歌謡曲的なものまで幅広く歌ってました。
例: NO PLAN「本望でございます〜芸人魂の詩PART2〜、Gorie with Jasmine & Joann「Mickey」、時給800円「たまには泣いてもいいですか?」、塚地武雅・堤下 敦・梶原雄太「言いたいことも言えずに」など
もうひとつ、お笑い抜き、超マジメな内容で出す場合。お笑い芸人は歌が上手い人が多かったりするのと、普段の芸風とのギャップがウケやすかったりと、こちらも最近多いです。ハシリは二丁拳銃あたりなのかなあ。とんえるずも、「雨の西麻布」とか野猿あたりはこっちに近いのかな。
例: くず「全てが僕の力になる!」、U.N.O.BAND「NO.1」、柴田英嗣「だまって俺についてこい」など
で、この桜塚やっくんの場合は、「がっかりだよ!」ネタを盛り込みつつ、わりとマジメに歌い、それでいてユーモアたっぷりのいいとこどりになっていたりします。基本はテンション高く、面白さ重視なんでしょうが、途中『流れる雲に この身を任せ/長いスカートを ひきずりながら』のあたりとか、なんだかシリアスに。で、『ゲキマジムカツク チョー ウゼェー』の連呼はやたらゴリゴリのヘビメタだったりして。
「ゲキマジムカツク」って何やねんとお思いでしょうが、自分でも『異星人みたいな言葉』とセルフツッコミしているので、わざとヘンな言い方にしているんでしょうね。
ハードなサウンドの堂に入りっぷりとか、やたらと音の完成度が高いなあと思ったら、SEX MACHINEGUNSの中心人物・ANCHANGの仕業でした。カラオケのネタ曲として定番の「みかんのうた」とか「ファミレスボンバー」とか作った人です。超納得。こういう派手でしっかりしたサウンドをベースにユーモアを出すことにかけては第一人者ですからね、この人。
それでもやっぱりシリアスパートもそれとなく入れちゃうあたり、単なるコミックソングにしたくない、消費されたくないみたいな意図が感じられます。まあファンは嬉しいでしょうけど、そんなんちょっと混じっても飽きられたらおしまいなので、芸に徹するかはじめからシリアスにするか、どっちかにしてほしかったかなあ、個人的には。
桜塚やっくん
コメント(4)| Track back(0) | 2006年10月21日
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Bank Band with Salyu「to U」
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<自分の限界を知ることが、今を好きになること、他者との関わりを感じることに繋がる>
Mr.children桜井和寿、そのプロデューサーである小林武史が中心となって結成されたBank Band。そこに小林武史が手がけている女性シンガーSalyuを加えて歌われているシングル。もともとは小林武史が作曲しSalyuのみで歌っていたのを、桜井和寿(あ、この場合は「櫻井」ですね)が詞を加えてボーカルにも加わってできたものなのだそうです。
結果的に、長年の足取りを共にしながらも、作詞作曲で櫻井と小林が組む形になるのは初めてのことらしいですね。
そもそも桜井和寿は、自ら歌う曲はほとんど作詞作曲してきました。言うなれば、自分の発したいメッセージを、自分のリズムとペースで好きなように歌ってきたわけです。GAKU-MC/桜井和寿「手を出すな!」なんかもきっと自分のパートは自分で作ったんでしょうし…
で、ここにきて、はっきりと自分の世界観を持った曲を作る小林武史のメロディに言葉を乗せ、そして歌う。このことで、また言うまでもなくSalyuとのデュエット形式になっていることで、ミスチルとはまた異なった言葉の引き出し方をしている感があります。
何かというと、より客観的になっているというか、外に語りかける内容になっているなと。何かと自問自答を繰り返し、内面だけで言葉を展開させることの多い「桜井」ですが、今回の「櫻井」の詞は基本的に外に開かれた、全編通して明確に呼びかける相手を意識した内容になっています。
わかりやすいのははじめ、公園の池と水鳥の風景を見て『私達がこんな風であれたら…』とつぶやくところ。これは明らかに、風景を見ている「自分」だけでなく他の多くの人を(もしかしたら人類全体を)巻き込んだ言い方です。また、『想いは繋がっていくのでしょう』と推量で結ばれる言葉尻にも、外側への意識が表れていると思うのです。
これはBank Bandの活動概念からすると、非常に正しい作り方と言えるでしょう。外へ呼びかける活動に、一人の内面だけで思い悩む歌は(たとえそれが多くの人の共感を集める名曲であったとしても)適切とは言えませんから。そういえばこの活動での楽曲リリースは「沿志奏逢」といい今回カップリングの「生まれ来る子供たちのために」といい、カバー曲ばかり。櫻井和寿の完全オリジナル楽曲はないわけで、そう考えると、そのあたり明確にミスチルと切り分けているのかもしれません。
こうした点が、ミスチルや他の小林武史楽曲の色がただ混ざり合ったようで、実は決定的に違う楽曲たらしめているように感じるのです。桜井和寿が一人で作り上げる内面再構築の歌を期待する人は、また小林武史の全てを塗りつぶすような色の濃い世界観を想像している人は、実はちょっと物足りなく感じているかもしれません。でも、お互いがお互いを薄めているってわけでもないし、逆に塗り潰しあっているのでもないように思うのです。
さて、いったん詞に行きます。
印象的な『頑張らなくてもいいよ』という囁きかけ。ここに込められているものはなんなのか、そこを見据えながら読んでいきましょう。
一輪の花を『「枯らすことなく育てていける」と/誰が言いきれる?』という一節があります。花は、もちろん、枯れることなく育てていけるほうがいい。しかし、本当にできるのか?不慮の事故で、あるいは天災で、つい、枯らしてしまうかもしれない。また、たとえばこの世に咲くすべての花を育てることはもちろん不可能なわけだけど、その花だけを守ることは単なる自己満足ではないのか?守る範囲はどうやってラインを引くのか?
…などなど、突き詰めていくと実際のところキリがない。「頑張って」最善を尽くそうとし続けても、誠実であろうとすればするほど、迷い苦しみはむしろ増していってしまう。どうにもできない自分を嫌悪したり、人間を否定したくなったりもしてしまう。
でもこの歌は、そこで悲観的に終わりはしません。誰も花を枯らさずには生きられない、そんな反語になっているこのフレーズは、むしろ、その「諦め」からが始まりなのですね。
実はこの曲は、ある種の「諦め」を描きつつ、それでも前向きな歌なのです。
花を枯らしてしまうように、悲しい出来事、どうにもできないことはどうしたって起こってしまう。だから、それは前提なんです。悲しい出来事は裂けて通れないとした上で、それを前提にして希望を持っていこう、これはそういう歌です。だからメッセージは全て、『悲しい昨日が 涙の向こうで/いつか微笑みに変わったら』あるいは『沈んだ希望が 崩れた夢が/いつの日か過去に変わったら』というように、マイナス要素があるとした上で語られているわけです。
『愛 愛 本当の意味は分からないけど』というつぶやきもまた、ひとつの諦めではあるものの、決して後ろ向きなものではありません。『遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ』と呼びかけられる言葉は限られているとするのも同じです。きっと花を育てられる、愛ってこんなに素晴らしいことだ、そんなふうに易々と口にはできない…という意識が、ここには存在しています。
『頑張らなくてもいいよ』という呼びかけは、この視点に立脚しているものなのでしょう。人は全能じゃないから、頑張ってもできないことがあるし、逆に苦しくなってしまったりする。それは諦めであっても、できないことを理解することで楽になれたり、新しい何かを発見することができたりもする。悲しい出来事は必ず来るけれど、それはいつか自然と乗り越えられるから、無理して乗り越えようとしなくていい…
ま、早い話が「身の程を知る」ということです。こう言ってしまうとなんだか寂しいなあと感じる人もいそうですが、でもこれ、決してつまんない結論ではありませんよ。
だって、「自分の限界を知ることで、人は他人を意識できる」っていう側面もあるわけですから。身の程を考えず、自分発のメッセージを闇雲に他人に届けようとしても、限界はあります。押し付けるのではなく、自分だけに頼らずに次から次に渡していってもらうことで、メッセージは広がっていく。つまりは『想いは繋がっていくのでしょう』という考え方になるのです。
で、こうした「諦め」を前提にしたスタンスも、内面からは切り離してメッセージを作ることができた今回の共作形式だからこそ成ったのではないか、と考えるのです。
さて、Salyuの声はかなり特徴的で、好き嫌いの分かれるところでしょう。自分はこの発するそばから何かが溢れこぼれ落ちそうな声は好きですし、桜井和寿独特の声とメッセージにタメ張るには、「奇跡の地球」のときの桑田圭祐を例に挙げるまでもなく、このくらいの個性がないと難しいのではと。ただ、声質的にこれ合っているのかなあ…という点はちょっと疑問に感じたりしましたが。
Bank Band with Salyu
Bank Band
桜井和寿
Salyu
コメント(0)| Track back(0) | 2006年10月12日
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福耳「惑星タイマー」
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<自由なイメージの広がりの中に誘い、そのイメージを共有しようと呼びかける>
今回のこの曲自体には、スキマの色がかなりはっきりと表れています。何が、と聞かれるとちょっと説明しづらいとこですが、ホーンやストリングスといった非バンド系の音をナチュラルに使うとことか、それでいてべったりにならずに上品に仕上げてくるとことか…メロディと言葉の乗せ方のクセとか。
で、まあメンバーがかわるがわる歌っていくわけですけど、厳密にこのパートはこの人が、みたいな振り分けのとこまでは考えられていないような気もします。なんか誰がこのパートを歌うのがふさわしいとかじゃなく、「みんなで歌っている」という感覚がこの曲の場合は大事なのかなあ、と。
『想像次第、さぁ!』と呼びかけ、以降に繰り広げられるのは、宇宙のさまざまなものの中を軽々と渡り歩いていく、スペクタクルな展開。そして、どこまでも遠くまで広がる宇宙をイメージに起きながら、最後の締めは『そう言ったって気づいてるんじゃない?/僕らの中に宇宙があること』となっています。それはイメージの広がりの自由奔放さを表しているのであり、『伝えたいんだ!って想い』から、そうして生まれた宇宙のイメージを「君」と共有したがっている、ということなのでしょう。だから、宇宙があるのは「君」でも「みんな」でもなく「僕ら」なのかなと。それぞれにも「宇宙」を持つことができるし、誰かと共有することもできる、どっちにも触れ幅を取るための「僕ら」。
この締めの「僕ら」以外は、『君だけを乗せ』というフレーズからもわかる通り、はっきりと特定の「君」ひとりへの呼びかけになっています。で、多数のメンバーが交代で歌いかけてきてくれるので、聴き手はこのメンバーに囲まれて空想の宇宙の旅に連れて行ってもらっているような、心地よいトリップ感を味わうことができます。
福耳
スキマスイッチ
山崎まさよし
スガシカオ
杏子
コメント(0)| Track back(0) | 2006年10月02日
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リップスライムとくるり「ラヴぃ」
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<めくるめく愛の誓いは、一時の勢いで放たれるもの?>
リップスライム&くるりのコラボ作品。「くるりとリップスライム」と表記が入れ替わった「Juice」もありますが、少なくとも表題曲で言えば、どちらがよりどちらかの色が濃いということはないようで。両方ともくるり岸田繁作曲/リップ側で作詞という作り方で、ややヒップホップ的な要素が強く出ている作品という感じです。
さてこの「ラヴぃ」ですが、リップっぽい軽快なトラックに乗って、滑らかなコーラスの影響もあって非常に耳馴染みのいい、クセになりそうなサウンドに仕上がっています。でもその中身の歌詞は『今はまだあなたが/僕らにとってはラヴいだけ』と「ラヴい」という不思議な造語を使っての「今限りの愛の誓い」を囁くといった内容になっています。
『ハニーハニー 目くらむほどのオーラ/オレの全ては君のモノだ』と、何もかも身を任せるさまを描きながらも、それはどこか「期間限定のパートナー」であるようなフシがあって。たとえば『今はまだ君に遊ばれたいから』というように「今はまだ」という言い方をしていたり、『もう他の娘なんか見えんし/言えば君はオレの天使』と口説き文句を囁く裏では合いの手が(今は)と言っているし。「ひとときの恋に溺れていたいから付き合って」といったお誘い、という印象です。
特にコーラスで(今は)と分けているのとか、巷に溢れるピュアなラブソングへのちょっとした皮肉のようにも感じられます。甘いこと言ってるけど本心は「今だけ」なんだろ?みたいな。
この手の刹那的な愛の誓いは、「今夜だけは」みたいな形で描かれることが多いものです。でもこの曲の場合はそうじゃなく、特に期間は限定していないし、『簡単じゃないがこの愛はトワ』と本人は永遠の愛のつもりのようです。でも『ずっとこのままいたいような』とか、どうにも煮え切らなかったりする面も見せるし、やっぱり「今はそう思う」という限定された感情っぽいんですけれど。
そして、さらに言えばこれは『今はただオレらが 君らにとってはラヴいだけ…』というように、「オレ」と「君」の一対一の関係だけを描いているのではないのですねー。一ケースとしてそうなのではなく、「〜ら」と不特定多数に対象を広げることによって、「みんな」今ひとときの「ラヴい」感情に身を任せているんだ、みたいなところまで曲の内容が広がっていきます。
情熱的な愛の告白っぽい体裁をとりながら、「誰もが恋に溺れて、でも続かなくて次の恋を見つけて、今度こそ本当の恋愛だと考えて…」という現実を、ある種冷めた、もしくは皮肉を込めた視点から描いている歌だというような気が。捻くれた取り方なんでしょうかね、これ。
あ、複数対複数で「ラヴい」関係を描いているのは、もちろんコラボしているお互いのグループを暗に指しているってのもひとつあるんでしょうけれど。
リップスライムとくるり
リップスライム
くるり
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月18日
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くるりとリップスライム「Juice」
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 | juice
ビクターエンタテインメント くるりとリップスライム, RYO-Z, ILMARI, PES, SU, くるり, 岸田繁
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<ファンキーで熱のあるマイクアピールと、その温度を下げる涼やかなコーラス>
くるり&リップスライムのコラボ作品。「リップスライムとくるり」と表記が入れ替わった「ラヴぃ」もありますが、少なくとも表題曲で言えば、どちらがよりどちらかの色が濃いということはないようで。両方ともくるり岸田繁作曲/リップ側で作詞という作り方で、ややヒップホップ的な要素が強く出ている作品という感じです。
こちらは気だるさ・ファンキー色が強いナンバーで、リップのメンバー4人のアピールが散りばめられた一曲になっています。くるり参加はコーラスだけ?一緒に自己紹介すればよかったのにと思うんですが、ないようです。ひとこと『くるりっぷがLock on.』というフレーズだけは入ってましたが。
う〜ん、もしかしたら各人のパートで数回出てくる「ジョーカー」がくるり指してるのかな。わからん。
「Juice」というのはおそらくはミックスジュース、個性が交じり合ったみたいな意味合いなんじゃないかなあと思うのですが、なにせ歌詞には始めに一回しか登場しないので、想像の域を出ません。歌詞を見ていくとむしろトランプにちなんだ単語が多く見られるので、そっちのどれかをタイトルに据えたほうがよかったのでは…?
トランペットが鳴り響く雑然とした雰囲気で進行していく中で、すっとコーラスが涼しい雰囲気を入れてくれます。ここだけ雰囲気が違ってイヤと感じる人もいそうですが、ヒップホップのアピール系って暑苦しいのが多いので、そういう自分みたいな人にはこのコーラスもアリでしょう。
くるりとリップスライム
くるり
リップスライム
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月18日
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ANNA inspi' NANA「rose」
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 | rose
カッティング・エッジ ANNA inspi’ NANA(BLACK STONES), ANNA, Ayumi Miyazaki, ANNA TSUCHIYA, Gary Newby
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<ひたすらに相手を求めて痛々しいまでに叫び呼びかけ続ける「散ってしまった薔薇」>
昨年映画化され大ヒットした少女漫画「NANA」が、今年になってアニメ化され放映。そちらのオープニングテーマがこの曲。作中の主人公大崎ナナが所属するバンドBLACK STONESの曲、という位置づけになっています。
少々ややこしいのですが、まず映画版ではナナ役を演じた中島美嘉が役名でNANA starring MIKA NAKASHIMA「GLAMOROUS SKY」を歌っていましたが、アニメ版には彼女はなんの関わりもありません。
また、大崎ナナ役の声優は朴璐美という方ですが、この人がこの曲を歌っているわけでもありません。「歌唱キャスト」として、土屋アンナという方がANNA inspi' NANAという名義でリリースしています。
つまりまとめると、アニメ版は映画版とはつながりがなく、普通の劇中での声と歌部分をそれぞれ分担させているわけですね。
曲は、直球なロックサウンド。原作は確かパンクバンドだったような…というのは「GLAMOROUS SKY」のときにもちょっと思いましたが、まあでもイメージ的にはパンクよりもこっちのちょっと陰のあるロックってほうが合う気もします。
疾走感を止めないメロディラインに、『I need your love. I'm a broken rose』と、失った「貴方」を求める悲痛な叫びを乗せる、といったある種の黄金パターン。比喩に薔薇を持ってくるあたりは、ビジュアル系な雰囲気もあります。ほとんどストーリー性もなく、日本語英語を取り混ぜて胸のうちを絞りきるように「貴方」に呼びかけ続けます。ここまで「I」「my」「me」の単語が頻出する歌も珍しいってくらい。それだけ狂おしい想いが胸にたぎっている、ということなのでしょう。
ANNA inspi' NANA
NANA
土屋アンナ
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月18日
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OLIVIA inspi' REIRA「a little pain」
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 | a little pain
カッティング・エッジ OLIVIA inspi’ REIRA(TRAPNEST), OLIVIA, Masumi Kawamura, Tomoji Sogawa, SPACE CRITTER, Jeffrey Lufkin
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<今も続いている想いは、今よりも過去のひとときに向けられる>
昨年映画化され大ヒットした少女漫画「NANA」が、今年になってアニメ化され放映。そちらのエンディングテーマがこの曲。作中の主要キャラ芹澤レイラが所属するバンドTRAPNESTの曲、という位置づけになっています。
少々ややこしいのですが、まず映画版ではレイラ役を演じた伊藤由奈が役名でREIRA starring YUNA ITO「ENDLESS STORY」を歌っていましたが、アニメ版には彼女はなんの関わりもありません。
また、芹澤レイラ役の声優は平野綾という方ですが、この人がこの曲を歌っているわけでもありません。「歌唱キャスト」として、OLIVIAという方がOLIVIA inspi' REIRAという名義でリリースしています。
つまりまとめると、アニメ版は映画版とはつながりがなく、普通の劇中での声と歌部分をそれぞれ分担させているわけですね。
曲のほうは、エンディングテーマらしい、また「歌姫」らしい盛り上がりあるバラード。原作では別にバラードが売りってわけではなかったような…というのは「ENDLESS STORY」のときにもちょっと思いましたが、まあでもNANA側とわかりやすく対比させるには仕方ないのかなと。
こちらもまたかつての恋人を想う歌ではありますが、ちょっと様子が違うようです。『ずっと心は 手を広げて守ってる/あの頃の君が 振り返るまで』とあるように、やはり忘れられない想いはあるものの、どうにもならないほど狂おしい気持ちというわけではなくて、少し落ち着いた「待ち」の姿勢があるなあと。
そして、『手を伸ばせば 触れるのに/君は遠い それは 思い出の中のこと』という一文。「触れる」というのがちょっと気になります。思い出というにはまだ生々しくイメージすることができるという意味なのか、それとも「別れたけど今も傍にいる」という微妙な関係なのか。一見すると後者っぽい感じがしますが、『Travel in silence』という語が前にあるところを考えると、沈黙の旅=独りでの回想?という想像ができるので、前者なのかなあという気もします。
どちらにせよ、『あの頃の君が 振り返るまで』というように、今ヨリを戻したいっていうよりも、現時点というよりも、過去の幸せだった期間に時間を戻したい、というような懐古的な方向性が感じられます。
OLIVIA inspi’ REIRA
NANA
OLIVIA
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月18日
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