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Salyu「name」
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 | name(初回限定盤)
トイズファクトリー
Salyu, 一青窈 , 小林武史 , GEORGE HARRISON
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<「あなた」を自らの内側まで深く受け入れようとする、強い強い呼びかけ>
Bank Band with Salyu「to U」で櫻井和寿と共演したことで、一躍知名度を広げた彼女の続くシングルは、今度は一青窈の作詞で贈る楽曲でした。一青窈はかなり独特の質感と色彩を持った言葉を綴るタイプの人ですが、これが言われてみれば独特の声質と歌い方をするsalyuと合うんですよね。この組み合わせは、ただでさえ相性次第なところのあるsalyuのキャラクターからさらに好みをより分けているような気もしますが、個人的には面白かったです。
『パパから言われた内緒話それはね/あたしの身体にすごく大事な/部屋があるということ』。パパが登場するあたりは一青窈らしいなあと思いつつ、「部屋」という言い方が与えるイメージが重要です。部屋ということは、そこに「誰か」が入ってくる場所だということですから。自分自身、あるいは「あなた」が。
そんな「部屋」に「あなた」を呼び込みたい、それが『好きになってしまったの あなたを』という感情を表しています。さらに言えば、その欲求は『早くはやくはやくあたしのここに/心に名前をつけて』という呼びかけへとつながっていく。
心の中まで入ってきてほしい、あるいは「名付ける」という、その人間を規定する根源的な行為を行ってほしい。それだけの多大な影響を「わたし」に及ぼしてもらいたい、そんなはっきりと強い感情がこの曲には渦巻いているわけです。
Salyu
コメント(4)| Track back(0) | 2006年12月10日
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柴咲コウ「invitation」
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<内面から出てくることはなく、しかし別れのあとにもきっと続いていくだろう感情>
この夏、映画とドラマで大きな話題を巻き起こした作品「タイヨウのうた」。映画版での主題歌は主演クレジットが混じっているYUI for 雨音薫「Good-bye days」でしたが、そのあとを受けたドラマ版は柴咲コウ。すっかり当たり前のように自身が出ていないドラマ主題歌を歌うようになっていますが、これって珍しいケースですよね。むしろ最近は自分の出演するドラマは歌っていませんし。「世界の中心で、愛を叫ぶ」は映画版に出演してドラマ版は「かたち あるもの」で主題歌を歌う、というよくわからない事態になっていましたし…
この人の書く詞は感情移入型ではなく、どこか客観的な視点から言葉を紡ぐフシがあるので、そういう意味では主演+主題歌とかにはむしろ向かないのかなあとも思いますが。
ハイテンポで進む、ピアノがジャジーさを漂わせつつ、夏の海岸の情景を描いている一曲。タイアップ先のお話の舞台が湘南だということからか、『路面電車』も登場します。しかもサビ頭ですから、すごいインパクトです。
この路面電車をはじめ、具体的な単語が多数登場しているのが特徴で、しかも夏っぽさを意識させつつ、ありふれた描きかたではなくわざと断片的に、ぼかして書いている感じ。これは『いつもの通り道で待ち合わせ みんなでしよう』とか『どうせ海岸かそこらあたり』とかの不明瞭な言い方とともに、≪自分の頭の中のよしなしごとをそのまま出している≫ような印象を与えられます。誰かに呼びかけている、いやその前に文章に書き出してはいるものの、そうじゃない、脳裏に浮かんでは消える取り止めのない思考の泡を取り出しているんだ、といったように。
つまりこの詞は、誰かに届けたい言葉ではなく、ある夏のひとコマにおける自分の内面の自動筆記、という体裁なのですね。自己完結している、ということです。だからいまひとつ意味が通じないような部分もあり、「いつもの」「みんな」などに何の説明もなかったりするわけですね。
『ボーダーか焼けた肌かワンピース/個性はないけれどかわいくてうらやましい』なんかには、夏に憧れつつも一歩距離のある立ち位置を感じることができます。「みんな」の輪の中にいながら、あれこれと思考は目まぐるしく移り変わります。その中で、『みんな前 見てるすきに/ぎゅっと手を引いてほしいんだ』『どこから恋になったのか…』と、仲間のうちの一人である「きみ」への想いが挟まれます。それとなくモーションをかけたりもするけれど、だけどやっぱりいまの関係も心地よくて、一線を越えることはできないまま。
そして、『もしかしたら僕ら最後かもしれないけど』と、なんとなくではあるものの、別れを予感しています。しかし、「きみ」への感情も、別れの予感も、まったく口に出すことも表現することもないままで、そんな自分自身を「懐しのラムネ」の泡にたとえて『なんにも出来ない僕の気持ちの表れ』と言ってみたりもしています。
言葉で「きみ」やほかの「みんな」に感情を表すことはないまま。でも、そんな思いを内側に抱えているからこそ、夏の湘南の情景のひとつひとつが胸に迫ってくる。きっと『「過ぎた夏の記憶」に収まる』…「過去にしたくない、後悔したくない」ではなく、「過去になってもただひとり思い続ける」そんな種のセンチメンタリズムがこもっている一曲です。
にしてもこの人は、速い曲になると、やたら難しくセンスが必要な音楽になりますね。「Glitter」とかもそうですが、リズムがかなり崩されていて、一筋縄ではいかない感じ。一般的にはバラードイメージが先行している歌い手だと思うのですが、そうではない楽曲で他にない個性を出してうまくバランスをとっているのかなと。
柴咲コウ
コメント(4)| Track back(0) | 2006年11月21日
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坂本真綾「風待ちジェット」
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<広々とした景色から、伸びやかに空に舞い上がるメロディ>
昨年、ずっとタッグを組んでいたその道では有名なプロデューサー菅野よう子の手を離れ、新しく一人で活動している声優系のシンガーさんです。声優系といっても、舞台のお仕事などもされているようですが。
快活で、爽やかな雰囲気で奏でられるアレンジ。もともと清涼感を感じさせてくれる歌声の持ち主ではありましたが、今回はさらに開放感が大きく増しているような気がしました。それは『手を 手を伸ばし 風掴むんだ』とあるように、広々とした場所を想像させるフレーズのせいもあるでしょう。「手を」の繰り返しなどにも見られる歯切れのいいメロディとミドルテンポの速さも、外を歩いているような印象を与える要素になっているんじゃないでしょうか。そこにさらに『手を 手をつなぐ そして飛べる きみとなら』で、伸びやかな高音に浮かんでいく…そんな一連の流れが、聴き手の開放感につながってくるのでしょう。
また一方で、がっちりと組んでいたプロデューサーから離れたのも影響のひとつにあるんじゃないかなとも。以前の緻密な曲世界もまたいいものでしたが、その中ではこうしたタイプの曲もここまでの伸びやかさは持てなかったんじゃないかなあ、と想像するわけです。どちらがいいというものでもないんですけどね、こういうのは。
坂本真綾
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月04日
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島みやえい子「ひぐらしのなく頃に」
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<ダークなサウンドとダークな言葉、そこに絡まる日本的な怖さ>
テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に」オープニングテーマ。
このアニメ、もともとは同人サウンドノベルゲームが原作で、ものすごいブームを巻き起こしました。ちょうどこの夏のコミックマーケットにて、シリーズ8作目に当たる完結編がリリースされます。
このゲーム、はっきり言って面白いです。オタク要素も多いのでそういうのに激しい抵抗がある人はちょっと不向きですし、正直言って文章自体はそんなに上手いわけじゃないんですが、かなり怖いです。…そう、ホラー&ミステリーなんです、この作品。絵柄に似合わずというか、この絵柄だからこそというか…
お時間と興味のある方、第1作目が公式サイトで「体験版」として無料ダウンロードできるので、ぜひプレイしてみてくださいませ。後半から世界が一変する怖さ、これはぜひ体験してもらいたいところ。
最近は漫画でも多面展開しているので、「同人ゲーム」と聞いて抵抗がある人は、そちらから入ってみてもいいかもしれません。…本当はゲームから入ってもらうのが一番なんですが。
というわけで宣伝はこのくらいにして、アニメのほうのこの曲も、妖しげでダークな雰囲気に満ちています。浮遊感を感じさせつつノイズっぽいものが混じるバックと、何かの呪文めいたコーラス。そこに『雨だれは血のしずくとなって』とか『ひとりずつ 消されてゆく』というような、不穏な印象を与える言葉が乗ってきています。
そしてそこに重なる、『鬼さんこちら 手のなるほうへ/どんなに逃げても 捕まえてあげる』という遊び歌をベースにしたフレーズ。この言い方と全体の雰囲気で、なんとも言えない不気味さ、薄気味悪さが漂ってくるのですね。
『この指とまれ 私の指に/その指ごと 連れてってあげる』も同様。冷静に考えると、連れて行かれるなら「その指ごと」なのは当たり前といえば当たり前なのですが…でも、わざわざこういう言い方をされると、「えっ」とちょっと戸惑わされます。なんだか不安にさせられる響きですよね、これ。
『ひぐらしが鳴く』夕暮れ、俗に言う「逢魔が時」の風景。遊び歌とひぐらしといった日本的なイメージを多用しつつ、あっちの世界に誘われているような「怖さ」を感じさせます。
島みやえい子
コメント(2)| Track back(0) | 2006年08月12日
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柴田淳「花吹雪」
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<環境が変わろうと暗かろうと、ひたすら素直に胸のうちを曝し淡々と歌う>
レコード会社をひっそりと移籍したしばじゅんですが、曲はしっとり系ピアノ中心のバラードと、見事なまでに相変わらず自らのスタイルを崩しません。
それは音だけではなく、詞もまたそう。恋人ではなく友達どうしの別れの場面を描いているのが今作なんですが、『君はもう歩き始めている/ぼくはもう少しここにいたい//君との思い出の中にいたい…』とか、変わっていく、離れていく瞬間まで足を踏み出したくないと歌っているんですね。思い出を胸にしっかり生きていく、といった強い歌に比べると、ずいぶんモラトリアムな感情です。
そのほかにも、癒し系っぽい穏やかな歌声なのに、かなり暗い思考回路で世界が紡がれている彼女の持ち味(?)はまだまだ健在。花吹雪の舞い散る、感動的な別れの場面にいながらにして『やがて二人 すれ違って/君より大事なことが増えて/会わなくなる そんな時が/いつか来るのだろう…』と、かなりドライ。
たとえば恋人との別れの歌で「いつかは君のこと忘れるのかな」とか「この恋も思い出になるのだろうか」といったフレーズはけっこう見かけますが、たいていは「そんなの今は信じられないけど」とか「そうなったらイヤだなあ」という、時の流れを否定したい気持ちが根元にあるものだと思うのです。そこに感傷とか郷愁とかがこもって、聴き手が共鳴できるようになっている、と。
だけどこの曲はそうじゃない。「君」が大事でなくなってしまう日が「来るのだろう」と、すでに諦めている、受け入れているのですね。これが「来るのだろうか」だったら、また違ってくるはずですけど。
彼女がすごいなーと思うのは、まさにこの透徹した視点で。「冷めてるなー」と思われそうなこと、「普通こんなことすぱっと言わないだろう」というような感情を、さらりとなんでもなく出せてしまえるところなんですね。冷たいんじゃなく、素直なんです。卒業式だからって、なんでみんな盛り上げようとするの?とか、お葬式ってなんで静かにやらなきゃいけないの?とふと疑問に思ったことのある方、それと同じようなもんです。こういうところを取り出せて、しかも嫌味なくできてしまうというのは、類い稀なことだなあと。
ところで、やはり雰囲気は淡々としつつも痛いところをグサリと深々えぐってくる「ちいさなぼくへ」という曲では、幼い頃の自分との対話という形式で詞が描かれていました。その印象のせいもあって、今回の「花吹雪」の「君」もまた「僕」の分身として読むこともできるんじゃないか?と一瞬考えてしまったりしまして。前向きで先に進もうとしている自分と、それに合わせられない後ろ向きの自分…みたいな。
その解釈を押し通すのは、さすがに無理があります。が、『前を向き 希望満ちた笑顔/それが少しだけ淋しかった』とか、自分と違う世界を目指そうとしている相手に感じる淋しさや切なさの感情は、今までお互いがぴったりとひとつだと感じていたことを、逆に証明しています。
この曲が「恋人どうし、男女の別れ」ではなく「友達どうし、少年たちの別れ」として描かれているのは、この「半身がはがされるような淋しさ」を表現したかったからなのかな、と考えたり。少なくとも彼女の場合は確かに、恋愛の別れよりもこちらのほうがスタンスに合っているように感じました。
柴田淳
コメント(0)| Track back(0) | 2006年07月04日
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GTP「冷凍みかん」
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<ギャグとコメディの境目、みかん好きの女の子は果たしてどちら側?>
煙田さんが紹介しているのを見て気になったのもつかの間、その後すぐに職場近所のコンビニで流れたのを耳にし、その瞬間に「この曲だ!」と思い至りました。それほどわかりやすいこの一曲です。
「れ〜いとうみかん れ〜いとうみかん れ〜いとうみかん よ〜んこいり〜」と、およそフツーの歌らしからぬサビ。その冷凍みかんをチョイスしてくる突拍子のなさも手伝って、一発で頭の中に叩き込まれるメロディラインは、はじめて聴いた後でもすぐに空で歌えるほどです。チープな音色(きっと、わざと)の後ノリキーボードも中毒性があります。冷凍みかん中毒。頭がキーンとしそうだ。
まあ実際、本当に冷凍みかん中毒なのかっていうくらいに冷凍みかんを賛美し食べ続ける歌なのです。初デートの待ち合わせに向かいながら、『駅のホームでまず1個 電車の中でもう1個/彼待ちながらもう1個』瞬く間に食べてしまいます。1個は「彼」に残しておくつもりだったのに、結局待っている間に食べてしまう。
どうしよう、もう一袋買ってこようか…と思っているうちについに「彼」がやってくる、そしてその手には、なんと!冷凍みかんが!ギャー!…じゃなくって、めでたしめでたし、という。
なんじゃそら、ってツッコミ待ちのコミックソング、と片付けられそうなこの歌ですが、しかし何から何まで(笑)がついているような喜劇ではないわけで。…もちろん、「冷凍みかんとは○○の象徴で、実はこの裏には深い悲しみが/鋭い社会批判が隠されているのではないでしょうか」なんて言うつもりはさらさらないのですが。
たとえば、昨年けっこう話題になったりしたトンガリキッズ「B-dash」やグループ魂「君にジュースを買ってあげる」あたりは、「面白さ」のみを追求して作られた、紛うことなき純粋なコミックソングです。対してこの「冷凍みかん」は必ずしもそうとは言えない。題材の選定や恰好はファニーではあるけれども、カッコイイ/ステキな恋愛ではないけれども、こんなほのぼのとしたカップルがあってもいいよね、くらいのスタンスでこの歌を投げかけているように感じるんです。
この曲を気に入る聴き手は、きっと「こんなシチュエーションありえないよー」と笑いながらも、「でも、こういうのもいいなあ」と考えるのではないでしょうか。そういう受け入れられ方は、コミックソングとはまた違う種類のものです。漫画で言えば、「笑えるギャグ」ではなく「良質なコメディ」みたいな。そういえばこの曲のありえない偶然のハッピーエンドオチとか、少女漫画家の初期短編作みたいですよね、ノリ的に。
歌っているGTPは女性3人組のガールズバンド。これが3枚目で、デビューは吉田拓郎「春だったね」のカバーだったりして、もともとユーモア路線ではないような。なんかこの曲の自由奔放さから見て、デビュー前に半分冗談で作った曲がライブとかで面白がってもらえていたので出しちゃいました、みたいなリリースのような気がしてなりません。狙ってこのノリは出せないんじゃと思いますんで、狙ったならそれはそれですごい。
GTP
コメント(0)| Track back(0) | 2006年06月24日
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柴咲コウ「影」
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<まっすぐにポジティブにはどうしてもなれない人のための、屈折した現代的な暗さ>
ドラマ「白夜行」主題歌として、柴咲コウ自身が原作を読んで書き下ろしたとのこと。お話は知らないのですが、なんだか暗いってのは知ってます。っていうか武田鉄矢怖い。
今までのミステリアスかつ「一味違う」雰囲気を踏襲しアピールしています。ちょっと歌謡曲っぽいべたっとしたマイナー調に傾きながらも、3拍子、転調部分転調を繰り返すややトリッキーな曲の造りが「その辺の安っぽい曲とは違うぞ」的オーラを発散しています。オーケストレーションでの演出とかも壮大さを出そうとする方向性が伝わってきますね。…出だしとかはむしろ吹奏楽の曲みたいだったり、たっぱりどこか歌謡曲的なところを感じますが。
で、歌詞。
「暗い曲」のイメージに、イマドキの「暗さ」が感じられるなあという印象。たとえば『「僕は今どこにいるのだろう」/そんな立ち位置など/大して興味はない』という出だし。自分の居場所がわからない、的な疑問や不安を思い浮かべつつ、それについて「興味を持つ」=真剣に悩むことはしない、したくない、みたいな考え方があるという。思い浮かんでいるんだから興味がないはずはないんですが、そんなことを考えるのはバカらしい、と感じているわけですね。
同じことが、『一人など怖くない/そっとつぶやいた』あたりにも漂っています。悩んだり苦しんだり不安がる自分を「そんなのカッコ悪い」「意味がない」と自己否定し、大丈夫だと強がりつつも、どこかでやっぱり逃れきれていないような、そんな感覚。
そういう屈折した要素は、たとえば形を変えて『君が幸せ掴むように/偽日になり 祈ろう』というフレーズにも表れてきていると言えそうです。つまり「僕が君の太陽になる!」ってことなんですが、わざわざ「偽日」と独特のマイナスイメージ漂う言葉を当てているんですね。
柴咲コウのこういう曲が好きな人、共感を覚える人というのは、きっと「僕が君の太陽になる!」とまっすぐ明るく歌っちゃえる歌は、敬遠しがちだと思うのですよ。実質的には同じ意味合いでも、「しょせん偽物に過ぎないけど、君の力になれるのならこの身を捧げよう」という含みを持った「偽日」のほうに、よりシンパシーを感じるんじゃないのかなと。
柴咲コウ
コメント(2)| Track back(0) | 2006年04月22日
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鈴木亜美「Crystal」
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 | リトル クリスタル
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ 鈴木亜美, KZB, H∧L, 中村康就, h-wonder
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<一般的なクリスマスソングの文法に紛れ込む、歌い手の感慨>
さて芸能界復帰後の鈴木亜美ですが、エイベックスに収まった「Delightful」からずっと、90年代ダンスミュージックの復権を目指しているのか何なのか、ある種の懐かしさのあるサウンドを提供してきていました。
で、せっかくだから懐古的な音楽じゃなく、もっと別のことやればいいのに…と思っていました。ですが、今回のまっとうというかまっとう過ぎるというか、ストレートなバラードを聴いてみると、「よくある冬のバラード」になっちゃってるなあという印象を受けてしまい。個性を出すには、90年代ダンスミュージックというカテゴリを守っていたほうがいいのかも…とか思ってしまいました。
本人が書いた詞も、基本的にはクリスマスソングらしさが随所に散りばめられた、当たり障りのない内容です。「一見」。
サウンドや、サビ辺りの歌詞をなんとなく聴いている限りでは、穏やかでハッピーな一夜としてクリスマスを描いているようですが、1コーラスの内容がなんだか不思議です。『まっすぐに暗闇を/抜けていくと/そこには名前も知らない/笑顔の君がいた』に始まり、その「君」が何かしゃべったのを『僕には確かに聞こえた/ありがとうの言葉』と言ってのけたりと、ずっとイメージの中の「君」を語っているんですね。今の「君」ではなく、出会った頃の「君」を思い返しているというところなのでしょうけれど、なんだかイメージと言うよりも妄想に近い感じがそこはかとなくするのは気のせいでしょうか…
その後はごく普通の展開です。過去に紆余曲折があって今に至る彼女のことなので、過去を振り返ると詞の世界でも感慨深くなっちゃってあれこれ考えちゃっているのかな…とか考えてしまいました。
それと、サビ直後、本当に少しだけだけど明らかにパッヘルベルの「カノン」が引用されてますね。こんなとこでぶった切るなよーって感じですが、「クリスマスらしさ」を醸し出すスパイスとして入れたかったんだろうなと。「カノン」は何故か日本人が大好きでしょっちゅう引用されますが、本来、曲自体には別にクリスマス属性はないはずなのです。「第九」に代表されるように、年末にクラシックが流されやすいって傾向はあるんですが。
じゃあ何で「カノン」がクリスマスっぽさを出すのかって言うと、ご存知の方も多いかと思いますが、山下達郎「クリスマス・イブ」ですね。こちらの間奏では「カノン」の旋律が、丸ごと引用されています。このジャパニーズクリスマスを象徴するあまりにも有名な曲を踏まえてのことなんだろうなと。
日本人のイメージに「カノン」=「クリスマス」という概念を植えつけた「クリスマス・イブ」。ものすごい影響力ですね。っていうか「クリスマス・イブ」があったから日本人にとって「カノン」が身近なクラシックになったんじゃないか…という気もしますし。いやはや。
鈴木亜美
コメント(4)| Track back(0) | 2006年02月04日
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柴咲コウ「Sweet Mom」
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 | Sweet Mom
ユニバーサルJ 柴咲コウ, 市川淳, 弦一徹, 華原大輔, REO, 井筒日美, Jin Nakamura
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<底のない愛情「母性」を描き出しつつ、ツカミも忘れちゃいない>
この柴咲コウという人は毎回自ら作詞しているようなんですけれど、なんというか、自分のやるべき役割を把握してしかもそれを表現できる人だなあと、今作を聴いていると特に思ってしまいます。
前作「Glitter」ではどこか病んでいる一面を見せましたが、今回は「Sweet Mom」とのタイトル通り、母性を感じさせる内容になっています。両者は一見そぐわなさそうな方向ですが、どちらも期待されているのは「深み」ですね。単純ではない、底の知れない感情…理解や常識から外れた位置にある、逸脱した思考/無条件の愛情。そういう部分で見ると、対極ではあるものの、相似形を成していると言えるのではないでしょうか。
で、聴き手が彼女に望んでいるものは、そうしたミステリアスさであったり、深く受け入れてくれそうなキャパシティであったり、トリップさせてもらいたい「深さ」なのではないかなと。
それにしても、ダブルミーニングとは行かずとも、「母性」を描く一方できちんとJ-POPとしての配慮もしているんですよね。この辺、副業の一部としてだけ作詞をやらせておくにはもったいないんじゃないかって思うくらい。
わかりやすい例はサビ『笑い合うそのとき 描きながら〜』というのは文脈的にはきっとは赤ん坊とのことを指しているんですが、そこだけ切り取って提示すれば、普通のラブソングのようにも思えるわけです。『あなたがいない昨日に/もう未練はないのよ』とかも、キラーフレーズとして通用しますよね。さすがに『突き出した愛の丘』は膨らんだお腹のことでしょうけれど、その後の『ソファに腰沈めて/また丘を撫でましょう』なんて言い回しは、どこかエロティックさを漂わせていますし。テクニカルです。
方法論に基づいて詞を作っている感じで、非常に安定感がありますね。一貫性がありつつ、聴きをつかむための配慮もありで、よくできてるなーと感心してしまいました。
曲は「月のしずく」っぽくてそれだけで少々退屈に聴こえてしまうところですが、けっこういろいろ細かく遊んであって、その辺きちんと聴くと面白いかも。
柴咲コウ
コメント(0)| Track back(0) | 2005年12月23日
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SHAKALABBITS「LadyBug」
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 | Lady Bug
アンリミテッドグループ SHAKALABBITS, UKI, Chapman Michael Donald
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<ふさぎ込んだ気持ちを雨上がりの虹へと昇華させる、鮮烈な「てんとう虫」のモチーフ>
タイトルは「てんとう虫」の意とのことで。今までのSHAKALABBITSのシングルからはずっと落ち着きの感じられる、ミディアムテンポの曲です。こういう曲にしてもやっぱりジュディマリっぽいよなーと思ってしまうのですが、詞世界はやや独自の方向に向いてきたような気がします。カラフルでポップな雰囲気は似ているんですが、ジュディマリYUKIがひたすらそうした言葉をきらきら全体に散りばめるのに対し、例えばこの曲では、雨→晴れ→虹、というひとつのストーリーの流れが存在しています。
『雨の中でLadyBugを見ていた』という出だし。「天道虫」って名前からしてもあんまり雨のイメージがなく、なかなか新鮮ですし、雨空(灰色、青)とてんとう虫(赤、黒)の色合いのコントラストも非常に印象的です。
この強烈な対比は、やはりその後の「晴れ」を予感させる導き手として「LadyBug」を出しているということでしょう。『何かをずっと忘れようとしていた』、『静かに零れて雨に混じる雫』(=涙)からして、辛い出来事があったのであろう主人公の気持ちが、「雨」という天気に象徴されていて。そんな曇った色合いの世界の中で、小さいけれど鮮やかな体でもって『雨上がりの虹を待って』いる「LadyBug」に勇気付けられ、曲ラストでは雨は上がる(=気持ちが晴れる)のですね。
空の変化が内面を反映している、というパターン自体は王道も王道、ベタベタではありますが、この曲では「LadyBug」を用いることで、色彩的にとても印象深い内容になっています。
SHAKALABBITS
コメント(0)| Track back(0) | 2005年11月13日
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