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ポルノグラフィティ「Winding Road」
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<未練や女々しさを残しながら、少し大人びた面も覗かせる>
21枚目のシングルにして、A面としては「音のない森」「ROLL」(両A面扱い)に続くボーカル岡野昭仁の作詞曲。
カップリングやアルバムでは多数の作詞作曲をしているものの、シングルA面はこれまでほとんどギターの新藤晴一によるもの。一般的なポルノのイメージは、オリエンタルなメロディラインを作り出すプロデューサーak.hommaと、語り口調や独自の表現を駆使した詞を生み出す新藤晴一の手による部分が大きいです。なので、今回の岡野昭仁作詞作曲「」は、特に奇をてらっているわけでもない等身大の詞、ミディアムバラードでしっとりした雰囲気と、ちょっと違和感があるかもしれません。
一般的な「ポルノらしい」インパクトは薄いですが、「ROLL」の時にも書いたように、だいぶキャリアの長くなってきた彼らだからこその落ち着き、しっとり感というのもあって、それを感じさせるにはうってつけの楽曲だなと。
特に二人での活動再開後は、晴一のほうも「黄昏ロマンス」のような穏やかめな曲を作っていますし、バンド自体にそうした変化がゆっくり生じているんじゃないかなあと思うわけです。同じミディアムバラードでも、5thシングルの「サボテン」(約6年前)なんかと比べると、ぐっと落ち着きや渋さが出てきていますしね。
ハーモニカで奏でられるイントロで始まるこの曲は、『この雨に流されてすべてが嘘だと/もう一度微笑んで』と、別れ際の未練を描いた内容になっています。
雨の降る中、二人で水辺の道を歩きながら、時が止まってほしいと願う。でも、それがかなわないことももちろん知っている。だから『一つの傘が悲しい』んですね。傘の下、近い距離に二人でいるのに、今が過ぎれば離ればなれになってしまうのを予感しているわけです。
『まだ君が好きだから』…だけだと未練だけの歌になるところ、『ずっとこれからも忘れはしないだろう/君が恋しても僕が恋しても』とあるのには注目です。これからも忘れない、だけでなく「次の恋」をきっちり考えて、新しい別の幸せの道も探そうとしているところは、オトナだなあと思うのです。
もちろん「君」への思いを忘れないと誓うこと、また『温もり残ったままなら終われそうで』と、冬(=寂しさ)の寒さを乗り越えるために温もり(=「君」への気持ち)を必要としていることなどは、失恋ソングらしい女々しさではあります。そんな切ない感情と、それだけでなくオトナな部分の合わさった一曲、というところでしょうか。やっぱりキャリアを積んだバンドならでは、という感じですね。
ポルノグラフィティ
コメント(0)| Track back(0) | 2007年01月01日
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BEAT CRUSADERS「TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」
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 | TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT
DefSTAR RECORDS BEAT CRUSADERS, ヒダカトオル , クボタマサヒコ
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<ワクワクするようなイメージの言葉と、その裏に潜むセンチメンタリズム>
最近どんどん勢いを増してきているギターポップ界隈で彼らを知らなければモグリとも言うべき、文字どおり「覆面」バンド:ビークルことBEAT CRUSADERSでございます。
明快で歯切れのよいサウンド、全英語のカッコよさげな詞、そして何より勢いのあるバンド感。コこの手のシンプルなカッコよさが隆盛する流れの中で、彼ら独自の特徴/強みと言えるのは、電子音をうまくサウンドに絡めて奥行きを出しているところでしょうか。
この系統だと、個人的にはどこかウェットさのあるELLEGARDENの音のほうが好みではあるのですが、今回彼らの英語詞を対訳サポートつきで読んでみたらなかなか面白かったので、ちょっと自分内株が上がりました。
『Tonight,/Love is rationed/Tonight,/Across the nation/Tonight/Love reflects world wide』
(今夜、“愛”が配給されるって/今夜/世界中に/今夜/“愛”が世界中に伝染るんです)
起き抜けに聴いたくだらないラジオから飛び込んできた、ビックリするようなニュース。それが上記の、今夜世界が愛で満たされる、ということだった。
一体どうやってそんなに愛が広がるのか、という説明は一切なされません。ただ、ラジオがそう言ったというだけです。だけどこんなに爽快感満点に歌われると、そんなことは些細な問題に思えてきます。≪今夜、世界が愛で満たされる≫そんな言葉自体の力で、なんだかワクワクさせられてしまうんです。
日常の中に舞い込んできた、ありえないニュース、しかしワクワクさせられる幸せなニュース。実際には起こらないだろうけれど、でももしそんなことが起こったなら素敵だな、そう思わせられるようなトリップ感があるのです。
で、この曲、それだけではありません。間奏後の部分では、唐突に『She』が登場します。そして、まったくそれまでと脈絡がないような内容の詞が展開されていきます。
『She's a shooting star/Good-night/Good-night/She's a shooting star/Good-bye…』
(彼女は流れ星/おやすみ/おやすみなさい/彼女は流れ星になったよ/さようなら…)
はじめはまったく意味がわからなくて、明確なつながりがあるのではなくあくまでも「切なさ」「感傷」をスパイスとして混ぜるためにこういうイメージを入れただけで、深い意味はないのかなと思ったりもしました。リズムが倍に伸びる緩やかになる部分なので、それに引っ張られてなんとなく出てきたのかなと。
実際にはそうなのかもしれません、が、もう少し考えてみたんです。糸口は「彼女」が「流れ星」になったのはいつなのだろう、と。原文では必ずしもそうじゃないのに、対訳では過去形になっている、じゃあここに何かあるんじゃないかという。
はじめのほうにある目覚めのつぶやき『I'm still alive』(あぁ 俺はまだ生きてらぁ)。そしてこのときは、そしてラジオからニュースが流れている段階ではまだ「夜明け前」なんですね。これは例のニュースの一説が『Almost another day』(あぁ もうすぐ朝が来るよ)という一文からも証明されます。「another day」というと次の日っぽいですが、「朝が来るよ」という対訳からしても展開からしても、まさにこれから夜が明けて一日が始まる、ということなのでしょう。
曲の展開では、「今夜、世界が愛で満たされる」と継げるニュースの後に「彼女は流れ星になった」と続いています。が、考えてみると、「彼女」が流れ星になったのは目覚める前、昨日より前の出来事だと推測できます。そして「俺はまだ生きてらぁ」という一文…
以上から、世界中に降り注ぐ“愛”とは、(おそらくは前の夜に)消えてしまった「彼女」のかけらのことではないか…という仮説を立ててみます。そうすると、ただ聴いていくととても突飛な「今夜、世界が愛で満たされる」というニュースが、曲世界で必然性を帯びてくるのですね。
ま、もしくは「愛」のニュースと彼女はまったく関係ないとしても、「今夜には世界中が愛で満たされるというのに、もう彼女はいない」という解釈をすることも可能でしょう。いずれにせよ、ワクワクするニュースの影に、どこか哀しさ、センチメンタルな感情が忍ばされているのではないか、と、こう考えてみた次第です。
BEAT CRUSADERS
コメント(0)| Track back(0) | 2006年12月13日
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風味堂「愛してる」
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<あとで思い返すためじゃなく、別れ際の今このときのために願う切なる気持ち>
これまでにも「ナキムシのうた」「クラクション・ラヴ」などのちょっとした話題作でじわじわと知名度を拡大していた風味堂の、ストレートなタイトルのナンバー。
ギターなし、ボーカルがピアノも弾くという一風変わった3ピースバンドで、この楽曲もバンドサウンドではあるもの、ピアノが大幅にフィーチャーされていてかなりポップかつゴテゴテしすぎないシンプルな音になっています。
「愛してる」というタイトルですが、実は別れの曲です。『君がサヨナラ言った二人最後の夜/初めて君からその身を寄せてきたんだ』と描かれているので、「君」も「僕」も双方がお互い本当は別れたくないと思っているんでしょう。とすると、「君」が遠くへ行ってしまうとかそういうシチュエーションなのでしょうか。「君」からサヨナラ言ったということは、たぶん「君」側がどこかに行くとかそういうことなんでしょうね。「僕」は置いていかれる側です。
でも『恋の終わりはいつも人を素直にする』を読むと、つまり素直になれなくて衝突しあった、という過去を類推することもできます。でも最後になって…みたいな。
『あと少しだけ/君を抱きしめさせてくれないか』『君のぬくもりを/ウソでいいから僕にくれないか』と呼びかける「僕」の懇願。「〜させてくれないか」「ウソでいいから」という辺り、どうも下手に出ているなーという印象ですが、まあそれだけ「君」を大事に思っている、切々とした心情でいる、のでしょう。
だって「君」は「身を寄せて」きているわけですから、わざわざ許可を取る必要はないはずなのです。そこをあえて問うからには、投げかける対象は「君」というより、それを超えて「神様」とか「時間」とか、そういうものなんじゃないのかなあと、ここは。あえて尋ねてしまう、あえて「ウソでも」と言ってしまうくらい、切実な思いなんだという。
なぜそこまで女々しくも切実に「最後のぬくもり」を欲しがるのか。それは、今、まだ「君」が隣にいるこの瞬間こそが大事だからですね。いつかは『今よりもっと綺麗な思い出になる』ことはよくわかっていながらも、だからといって別れのシーンを綺麗に身を引こうとは思えないわけです。『そんな思い出なんかに/変わってしまう前に』この瞬間の「君」をしっかりと感じていたい、そんな思いがあるんでしょうと。
つまり、ここでの「君」を抱きしめたいという感情は、思い出作りのためじゃあないのです。本当に≪今≫このときのための昂ぶりであり、切なる願いなんだというわけですね。
そう考えると、サビの『愛してる 愛してる/もう 言えなくて』もまた、今このときにすべて言っておいてしまいたい、「君」に届くうちにすべて曝け出したい、という「僕」の気持ちが見えてくるように感じます。
風味堂
コメント(0)| Track back(0) | 2006年11月25日
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ポルノグラフィティ「ハネウマライダー」
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 | ハネウマライダー
SE
ポルノグラフィティ, 新藤晴一, ak.homma, Porno Graffitti, 岡野昭仁
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<一人でひたすら力任せに疾走するのではなく、二人の速さで進むため変わっていく>
ポルノグラフィティ、今年のサマーチューン。
ちゃんと聴くまで、「ハネウマ」っていうのは気が強い女の子のことだとばかり思っていたんですが、そうじゃないんですねー。一応歌詞中では『Motorbike』そのものであり、またそれは『ボクが跨った風』と姿を変える、つまりは「時間」とか「運命」、「人生」の比喩として用いられているようです。
主題となっているのは、Cメロ部分にある「歯車」云々の部分ですね。人は一人ぼっちでは勝手気ままにしか生きられない、誰かとコミュニケーションをとり、共に歩んでいくことで『歯車が噛み合って時間を刻む。』ことになる、と。この「共に過ごす」状態を、「君」を後ろに乗せての二人乗りという形で描いているわけですね。
1コーラスではオンボロで、ブレーキも軋んでいれば『Handleはないけれど、曲がるつもりもない。』なんて無鉄砲なことを言っていたのが、「君」を乗せた2コーラス目ではバックミラーをつけたり、『海が見たい、と言われたからHandle切って。』と言ったり、「君」に合わせて道を走るマシンも行き先も変えていくようになります。
共に歩む連れ合いができたら、一人のときのようにはいかない。でも、『ただ必死にしがみついていた』時よりも、マシンは『太陽に映えるMetal Blue』になったり、ずっと立派になっていきます。闇雲に突っ走るようなムチャをしていたけど、二人で走っていくほうがずっと…という意味合いが込められているわけです。
一見疾走感のある曲ですが、実際は連れ合いができて丸くなる歌でした、という。まあ最終的には二人の息を合わせて飛ばしていく、っていう締め方になってますんで、曲に合わないって訳じゃまったくありませんけれど。ま、でも、ひたすらかっ飛ばせ!みたいな若さではなく、いろいろくぐり抜けた末に何かを悟った、キャリアを積んだ大人のメッセージになっているなあと。なんというか、「お前も早く結婚しろよ」みたいに言われた感じ?もしますが。
あと、『明日の忘れ物は今日にある。』というのは名言ですね。とりこぼしすることのないよう生きていかないとです。
ポルノグラフィティ
コメント(7)| Track back(0) | 2006年09月18日
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V6「グッデイ!!」
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 | グッディ!! (通常盤)
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ
V6, コモリタミノル, 小川まき, 高見優, Coming Century, KOMU, YU, 20th Century, 小幡英之, チダタカシ
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<日常のひとコマから遥かな未来まで、一気に跳躍>
ジャニーズの等身大ソング担当、V6。彼らはラブソングよりも、こういうポジティブな日常賛歌のほうが多い気がします。初期はユーロビートだったこと、みなさん覚えているでしょうか?まあ、あの頃からラブソング系ではなかったですけれど。
ポップ全盛期のSMAPを思わせる、軽快で陽気なアップテンポ。サビは『きっと未来は So So So Cool』と英語も入り混じりで楽しげです。『君が多分その人だってさ』とか「〜さ」という言い方、『交差点の向こうで/サンダルの君が手を振る』という日常的なシチュエーションも、身近な語りかけ、喜びを表現するのに一役買っています。
そんなノリのよさもあるとはいえ、しかし、意外と『答えが見つからないあの日に/決別するよ』とか『優しさなんてどれも同じと/思いたくなかった』とか、わりとシリアスなフレーズも混在しています。表現も、『零れる輝きの瞬間 このまま』とか『光る翼でFly Away/虹を描いてGood Good Good Days!』とか、日常的にしてはやたらカッコいいものもちらほら。字面だけ読むと、サンダルはいた恋人の道路挟んだ距離をじれったく思うような場面とは、かなりのギャップがありますよね。でもあんまり違和感はなかったりして、音楽って不思議だなあと。
なんでもない日々の幸せを感じると、『見たことの無い季節へ』翼広げて虹を描いちゃう…平凡な生活っていうのはそれだけ素晴らしいものなんだとふと気がつく、そんな大掛かりな日常賛歌として聴くといいかもしれません。
V6
コメント(0)| Track back(0) | 2006年09月03日
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平井堅「バイマイメロディー」
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<今までのように「切なさ」ではなく「強さ」「ポジティブさ」をアピールし、新しいポップ時代を切り開く>
男性シンガーとして今や人気と実力を兼ね備えたトップアーティストとなった平井堅。そしてそのスタイルは、ひとところに留まるのではなく、その領域を広げようと積極的に動いているように感じます。
ポップでノリがよく、たくさんの楽器を使って明るさを振りまくアレンジは、前作「POP STAR」から引き続いての流れ。ただ、今回の詞のテーマは失恋から立ち直り歩き始める、という切なさ漂う内容だったりしまして。『君の声を 全てを 抱きしめて』と、また『かけがえのない笑顔忘れる 未来ならいらない』と、今は隣にいない「君」を想い続けようとする姿勢があるわけです。
終わってしまった恋という点に注目すれば、あの大ヒットしたバラード「瞳をとじて」と同じ。曲はこれほど爽やかで軽快な雰囲気ではなく、もっと切なさを醸し出すようにも作れたはずです。そっちのほうがよかった、という意見の人もいるかもしれません。
でもそうしなかったのは、ひとつには『ときめく日々をつかまえに 虹を超えて行こう』『生まれ変わる僕がはじまる』と、「前向きにこれから歩いていくんだ」という点を強くアピールしたかったからなのではないでしょうか。「君」との思い出は大切に持ち続けていくけど、それに縛られるわけではなく、新しい旅に一人で出発する。大切な人を失った切なさ哀しさよりも、そこから立ち上がって歩いていく部分を主眼に置いたからこそ、前向きさを感じさせる曲調になったのではないかなと。
「瞳をとじて」では、ひたすら失った「君」のことだけを考え続けていて、ほとんど前に踏み出そうという意志も感じられず、思い出に浸り続けている主人公像が提示された上でのバラードでした。それを考えると、やはり表現したいことの違いが、曲調に表れてきているようにも感じるのです。
また、彼としてはやはりバラード歌手というイメージが世間にはあるので、それを変えていきたいという意図もあるのかもしれません。もともと「LOVE OR LUST」「Strawberry Sex」といった軽い内容や曲調もこなしてきた彼なので、そちら側の世界もうまく見せるため、かなり極端な「POP STAR」、そして切なさを含んでいてもポップな今回の「バイマイメロディー」というように並べ、ポップで明るいイメージも広く浸透させていこうとしているのではないかなーと思います。
彼の場合、声が濡れているのでかなりバラード向きですし、そういうイメージも影響してポップソングは違和感があるような印象も受けますが、そんな印象を払拭するためにあえてスコーンと突き抜けた内容にしたり、おかしなPVを作ったりしているような気もしますが、どうなんでしょう。
たぶん今、時代そのものにおいても、この平井堅自身の変遷のような流れが出てきています。ポップな明るさ、ひいてはある種の脳天気な楽しさを含んだ80年代的な音やスタイルが、徐々に復権しつつある兆しを感じるんですよね。彼はそんな時代の空気を嗅ぎ取り、真っ先に新しい流れの旗手として動いているのかもしれません。
2004年段階では、両想い状態なのにあえて別れのことを考えたりして切なさを演出してみせたりする「思いがかさなるその前に・・・」みたいなバラードを歌っていたのが、今回は恋を失ったというシチュエーションにもかかわらずポジティブに乗り越えていこうとするポップソング。やっぱり単純に詞世界の守備範囲の広さでは済ませられない、時代に沿って曲を作りリリースしているような意図があるように思えるのです。
平井堅
コメント(4)| Track back(0) | 2006年09月02日
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B'z「SPLASH!」
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<いろんな意味で熱く濃い、過激発言のオンパレードとその裏側>
テンポは落ち着いているものの、ひたすらハイトーンでまくし立てシャウト満載なこの一曲。ボーカルにしてもギターが前に出るロック色にしても、B'zらしさ全開です。
…そしてまた、別の方向でも全開です。ぶっちゃけ、エロが全開です。あーどうしようかなーどう書けばいいかなーなどとかなり悩みましたが、もう正面から行くしかないわ、これは。
『もっと奥でつながりたい』と願う『真夏の欲情チルドレン』たちは、『まじわりあう性と生(ネバネバ絡み合う精)』を感じているわけですねー。タイトルの「SPLASH!」は何のことかというと、『愛のタネで生命の花 咲かせて』と歌うところ「タネ」、『あなたの中で ビュンビュン ほとばしる』モノのことを指しているのです。
そういう、そのものズバリな部分以外でも、明らかに狙っている表現が多すぎます。いちいち『ムキ身』とか『やり逃げ』とか『僕らのBig Bang』とか、もう間違いなく想像力を掻き立てるようにわざとやってますね。
ということで、はい、今まで曲は聴いていたけど詞は気にしていなかったという人、そんなに引かないようにお願いしますー。一応『ミ・ヤ・ビな』飛び散り方をしているようですからね。
…しかし、これも、この単語をわざわざ乗せる、しかもカタカナで間に点を打って、というこのツッコミ待ちのような表現が、より一層この曲の暑苦しさを増しているかのようです。
まあ人間、極限までヒートアップするってったら、この辺りのことですからねー結局のところ。よくぞここまで下ネタ…もとい過激な表現に踏み切れたものです。サザンだってここまではなかなかやんないっすよ。
で、吹き荒れる下ネ…過激発言の中、『愛しい人よいかないで』『ずっといっしょにねむりたい』みたいな、ここまできておいてどこかピュアささえ漂うフレーズが何気なく混じっていたりします。こういうのは稲葉浩志らしいなーと思うんですが、エロ全開になっていても、リードするとか強気に攻めるんじゃないんですね。サザンはもっと男の強引さが感じられるんですが、そういうんじゃない。あれこれ妄想が膨らみまくっているけど、それがこぼれそうでヘンになりかけてるけど、過激な言葉を並べているけど、それでも基本的には相手のほうが強いんですよね。なんだかひらがな表記も多いですし、ちょっと甘えているようなフシがあります。
B'z
コメント(0)| Track back(0) | 2006年08月30日
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福山雅治「milk tea/美しき花」
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<異性視点から「純粋さ」を射抜き、取り出して称えてみせる>
アコースティックな弾き語りナンバー「milk tea」は、「恋するハニカミ!」のテーマソング。その特徴は、女性の視点と言葉で歌詞が描かれているところ。松本英子に提供した「squall」をセルフカバーしていたり、たまにやるんですよね、彼は。歌い方とかは非常に男の色気を出すような雰囲気なのに、『嫌いじゃないかな/好きになってくれるかな』とか『今夜夢で逢えたら うれしすぎて/泣いてしまうかも』というようなフレーズが、違和感なくはまっているんですよね。
女性で「僕」視点で歌う詞については、以前も何度か触れたことがあります。女性が歌詞中でイメージし歌い上げる少年〜青年像というのは、非常にピュアというか、漫画や小説の主人公のような、汚れなきまっすぐな心を持ったイメージとして描かれることが多いです。でも、断言しますが、実際に思春期の男なんてもんは、そんなキレイなもんじゃない場合がほとんどです。あれこれ悶々として、で自己嫌悪に陥ったりして、かなりモヤモヤしたものを抱えて過ごしていたりするもんです。ええ。
女性が「僕」を歌うときって、そういう汚い部分がすっきり覆い隠されて、すごく純粋な部分だけが取り出されるように感じます。別の性をフィルターにして、男臭さのない上澄みを取り出すような感じ。
で、男性が「わたし」視点で歌う詞も、それと同じような効果があると思うのです。女性が女性を歌うよりも、より客観的に「イメージとしての女性らしさ」を取り出せるというか。
失礼な言い方になるかもしれませんが…きっと女性の世界って、この歌ほどキレイなだけじゃないと思うんですよ。ほら、男って女子校に変な憧れを抱きがちなものですけど、実際に聞いた話ではけっこう凄いことになっているらしいですしね?
ま、女性から見た男性というのももちろん同じことです。男子同士でわいわい騒いでいる姿がいい、っていう女の人いますけど、実際にはバカなエロ話とかばっかりですからね、内容とか。
で、それをあえてキレイなところだけ抽出できるのが、歌のいいところであって。それは決して捏造でも事実隠蔽でも性差別でもなくて、異性の純粋さ、惹かれる部分に「スポットを当てる」描き方なんです。異性視点での詞は、半ば無意識にそういうことを意図しているのでは、と自分は思ったりします。
横道に逸れましたが、この曲の場合は、恋人に思いを寄せる女性の、いじましさとか、口には出さない想いの強さとか、そういった部分にフォーカスしている印象です。「milk tea」というタイトルに象徴されるような、男性にとってのひとつの素敵な女性のイメージ、というところでしょうか。…そんなの男サイドからの勝手な願望だ!と言われるとそれまでですが、そんなに固いことは言わないでおいてくださいな。
また、逆の観点で考えると、このイメージの女性像が想い焦がれる相手の男性というのは、また一種の「男の目指すところ」でもあると思うのです。『笑ってたまに叱ってくれる』ような、『哀しい恋をしてた』女性にそっとやさしくできるような、そんな男性像。歌っている福山雅治は、女性一人称で客観的なひとつの女性像を現出させつつ、自分自身はこちらの男性像に当てはめられるように作っているような。
さて「美しき花」のほうは、明るいサウンドが華やかなポップ寄りの一曲。…メロディライン、なんだかところどころ「桜坂」に聴き間違えてしまいそうになるのですが。『冬来たりなば』の後に『染める桜坂』とかをつなげようとしてしまいます。
福山雅治
コメント(0)| Track back(0) | 2006年08月12日
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藤木直人「HEY!FRIENDS」
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 | HEY! FRIENDS
ポニーキャニオン 藤木直人, 井手コウジ, 鈴木雅也, 阿閉真琴, 高橋圭一
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<個人的関係以上に多くの人に向けて放たれるポップな博愛メッセージ>
本人出演のドラマ「ギャルサー」の主題歌。ドラマのほうがあんまりシリアスなものではないというか、けっこうエンターテインメントさの濃い作品で、そんなテイストにあわせたのか、非常にポップな作品に仕上がっています。
キラキラした音作り、多用されるコーラス、手拍子、堅苦しくない言葉遣い、英語混ぜ…要素だけを取り出してみても、王道ポップスの模範。その中で、『勝ち組と負け組に どこで別れるのかな/追いかけてる夢の尻尾ぐらいは その手でつかまなきゃ』というように、現代流行語を取り入れつつ、「自分で夢を叶えていこう」というメッセージにつなげています。
呼びかけている「FRIENDS」は、詞を読む限りでは、「特定の誰か」というわけではないようです。等身大のいち個人から親友へ呼びかけるプライベートな内容ではないんですね。『街角のLONELY GIRL/行き場ないYOUNG MAN』たちみんなへ、あるいは『同じ時代の中で生きている僕ら』のすべての人へ投げかけたメッセージになっているようです。
藤木直人
コメント(0)| Track back(0) | 2006年07月30日
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B'z「ゆるぎないものひとつ」
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<他者とわかりあう手前の「ゆるぎない」自己確立>
今年、「衝動/結晶」に続く2枚目となるB'zのシングル。相変わらずのハイトーンボーカルと、熱を持ったギタープレイは、これぞB'zといった風格を感じさせます。
独特の声でのシャウトは力任せなようでいて、実は『笑いながら別れて 胸の奥は妙にブルー』となってしまったり、『まっすぐ優しく生きてゆきましょう』とあまりにも正しい生き方を呼びかける、むしろナイーヴな一介の人間の姿が見えてきます。
強く叫ばれるメッセージの発信源は、悩んだり迷ったりする等身大の「僕」。10年前からこのスタイルはずっと同じだなあ、と感じます。日本を代表するビッグヒットプレイヤーでありながら、ソロをこなしたり、マンネリだと言われようとも、ただずっと自らのスタイルを貫き続ける。この彼らのスタイルこそ、まさにこの曲でまっすぐに歌われている「ゆるぎないもの」そのものなのではないでしょうか。
…と、こんな感じでまとめると音楽誌っぽいでしょうか。「だ・である」調にして読んでみてください。↑
すいません、締めの言葉(彼らのスタイルこそ〜ってとこ)が思い浮かんだので、使いたくなっちゃいました。このブログの方針としては、もうちょっと違う角度からも見ていきたいと思いますので、以下、続きます。
「ゆるぎないもの」を声高に掲げる姿勢は、おっ、とちょっと嬉しくなりました。分け隔てなく片っ端からレビューをするこのブログで言うのもなんですが、現代って相対主義的な観念が正しくて、絶対的な何かを求めることってなんだか悪く言われがちじゃないですか。ヒット曲の詞にしても、わかりあう、というような内容が重視されたり、誰もがそれぞれ世界にひとつだけなんだ、とか、そういった通念の上だけで作られていたりするものが多いなあと感じていて。
そこで「ゆるぎないもの」。
この「ゆるぎないもの」がたとえば「君」とかだったらまた話は違ってくるんですが、そうじゃない。自分自身を強く持て、ということなんですね、この曲は。『いのちの証が欲しいなら/うたおうマイライフ』と、自らの生き方を貫く芯のようなものを持ち、そこから外に広がっていこう、という歌なんだと読みました。
非常に力強く響いてくるこの歌は、しかし、それほど大きく一歩を踏み出しているというわけではありません。『あなたの前じゃいつでも 心と身体が/ウラハラになっちゃう』だから「ゆるぎないもの」を持って自分を伝えようとしている。『誰もがそれを笑ったとしても』びくともしないでありたい。それ自体は素晴らしいことですが、でも、他人と「わかりあう」ところまでには至っていません。ゆるぎない自分で『思い切りあなたを抱きしめたいよ』と歌いはするものの、抱きしめ返してほしいとは言いませんし。誰かに何かを求めるような感情が、この曲からは見当たらないのです。
それは別に「独りよがり」だということではなく、ただ「相手」とのコミュニケーションの手前、「自分」と向き合うことだけに焦点を当てた結果だと予測します。こんなに他者へ向かう感情がきれいに削げ落ちているとはちょっと考えにくいです。
前回の「衝動/結晶」でも感じた、現代社会の病からの「リハビリ」的な立ち位置が、今回もこの点で感じられるのですね。あくまでも正論ではない「等身大」の視点でメッセージを投げかける稲葉浩志の詞が、現代らしい「等身大」を探り当て、体現した結果なのかもしれません。
B'z
コメント(0)| Track back(0) | 2006年06月30日
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